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息子が産まれた日のこと

1月28日、息子が産まれた。
産後3週間が過ぎ、今更ながら出産のことを書くのだけど、いくつか先に断っておきたい。

産んでからつい昨日かおとといまで『可愛い』『嬉しい』『感動』等、出産の日記でよく見る感情は沸かなかった。
念のため逆からも言うと、息子が可愛くないわけではないし、その他ネガティブな感情も沸いていない。

あらゆる感情を押しのけ、私を占めていたのは【眠たい】だった。

なんというか、ずっと朦朧としていたのだ。ここ数日でやっと短時間でも深く眠れるようになり、やっと霧の中から出てきような感覚。

そもそもの私の性格もあって、『天使が生まれた!』『やっと会えたね!』『涙!』のようなテンションのものを読みたい方は、申し訳ないけどここで止めておいてください。

思い出話と、印象的だったことを記しておく。
これから産むという方の参考にはならないだろう。もしかすると参考になるかもしれないことは別記事にします。

息子が産まれたのは39週3日のことだった。
前夜から陣痛と思われる痛みが出てきたけど、前駆陣痛が頻繁だったので産む実感はなかった。

明け方4時頃に10分間隔になり、痛くて少し泣く。今思えば全然大したことなかったけど、夫から『泣くほど痛いの?』と言われてむかついた(今思えばたぶん心配の意味)。

朝になり病院に電話。1時間待ってみてまた電話してくださいと言われる。
1時間後にまた電話し、行くことになった。
『何でもいいので食べてきて』といわれるが何も食べられない。母が『痛いよねえ』と応援してくれながら、小さいおにぎりを持たせてくれる。

母と共に、陣痛タクシーで病院へ向かう。
私の推し助産師Aさんが出迎えてくれた。もう1人の推し助産師Bさんもいるという。
このお2人、大病院でたくさん助産師さんがいる中、なぜか私が健診に行く日にシフトがかぶっていて、コンビでよくカウンセリングをしてくれていた。

いつもお会いすると嬉しくて『産む時もいてください』と冗談で言っていたら、本当にお会いできるとは。すごく励まされた。
Aさんはその後ずっと担当してくれて、Bさんも産まれた時にわざわざ駆けつけてくれた。

朝9時頃に、それ用の個室でPCR検査と抗原検査を受ける。結果が出るのに昼過ぎまでかかった。
途中で昼食が出たが、食欲がなくほとんど食べられず。これは良くないと思い、持参したウィダーを飲む。

助産師Aさんが、病棟まで一緒に来た母を見て、母が安産だったことを言い当てる。
母は私たち三兄弟とも、3時間ほどで産んだらしい。そう伝えると『あなたも早いかもしれない!あやかろう!』と励ましてくれて明るくなる。

が、お産は進まない。
前日の健診で子宮口は3㎝開いていたらしいのだけど、(10㎝までいくといざ出産)
これが全然進まない。たしか15時頃まで3センチのままだった。痛みはじわじわ強くなっていくのに、もどかしかった。



コロナの検査結果が出たので、分娩室の横の部屋に移動する。まだ助産師さんたちと会話ができるレベル。
ちなみにAさんと一緒に担当してくださった助産師さんがめちゃくちゃに可愛くて明るくて、お顔を見るたびに癒された。
(この方に『これから喋れないくらいになってきますからね』と言われ、ヘェと思っていたら喋れないとかそういう次元ではなかった)

15時を過ぎたあたり、かなり痛みは強くなり、1人きりで唸ったり叫んだり。

ここで、この出産で1番驚いたこと。
助産師さん方が『ちょっとごめんね』と言い、子の頭蓋骨をチェックした。

もう一度書く。
子の頭蓋骨をチェックした。

なんと説明したらいいかわからないし、そもそも正直この記憶が正しいのか定かではないのだけど…

人間の頭蓋骨はいくつかの骨が組み合わさっている。赤ちゃんの頭は柔らかく、べこべこだそうだ。
助産師さんたちは胎児の頭(お顔)の向きを調べるため、ゴッドハンドにて直接、胎児の頭に触れ、
触れたのが頭蓋骨のどの部分かで、頭の向きを推理していたようだった……な、な、なんて原始的!
これがとんでもなく痛い!!!!
しかもこれを助産師さんお二人で頭を抱えながら何度か繰り返して、痛いにもほどがある。
エコーでも確認し、先生も来てくれて診てもらう。(それならエコーだけでいいじゃん。)

どうやら我が息子は向くべき方向の斜め上を向いており、姿勢も曲がっているという。
胎児はお産が進むに連れ、骨盤にカポっと頭をはめ、旋回して産まれてくる。それに向け、息子は顔の向きを改め、姿勢も真っ直ぐにならなければいけない。生まれる前からご苦労なことでした。

そのため胎児に刺激を与えようと、枕などを抱く形で四つん這いになることに。
しばらくすると腹の息子は素直に動き出してくれたらしく、急にお産が進む…。

…急にお産が進むということは、母体の私からすると、突然、急激に痛みが増すのである。
なななな、なんじゃこりゃあああぁ!!とパニックになりながらナースコールを押したのと同時だったかどうだったか、胃の中のものが全部出る。朝から大して食べていないし、痛くなってから水も飲めていないのに、出るわ出るわ。息子以外は身体の中になにも入っていないように感じる。

駆けつけた助産師さんから、子宮口が7センチにまで開いたと聞かされる。助産師さんたちは感動していて私も一瞬喜んだけど、え?まだ7センチ?!??でも素直にサッサと体勢を整えた息子、えらい。

ここからの記憶は断片的だ。とにかく痛くて叫んでいたと思う。
産前、「陣痛ってどれくらい痛いのだろう」と思っていた自分に教えてあげるとしたら「とにかく驚くほど痛い」。
あれよあれよとお産が進み、分娩室に移動。周囲も慌ただしくなった。

コロナ禍の出産でマスクが厄介だったという話をたまに聞くけど、私はもがき苦しむ顔を隠せるのがありがたかった。
だがしかし、さっき嘔吐したためマスクが無い。ばたばたしていて誰もそれに気づかないし私も申告する余裕がなく、分娩室でやっと1人が気づいてくれて新しいものを付け、安心した。

分娩室の空調が寒く感じ、死ぬ思いで「すみません…空調が寒いです…」とお願いする。
あらあら、と温度を上げてくれたが、そもそも私に直接風が当たるのが大変ストレスだったので、何度もお願いし直した。小さいことのようで、なんかめちゃくちゃ嫌だったのだ。
どうでもいい思い出だが、たまに空調の風が直当たりするときに思い出す。

分娩室に入ると、どんどん助産師さんが増え、先生も来て、こんなに人員が必要なのかと思いながら、ひたすらベッドのへりを掴んで痛みに耐える。
(後述するが、いろいろ大変だったらしい)

掴む自分の手を見ながら
"きっと江戸時代の人たちもこうして子どもを産んだんだなあ"
と思った。
江戸時代の産婦は何に掴まって痛みに耐えただろう。木に結んだ縄だったり、家の柱に抱きついたりしたのかな。
時代が進んで医療も進歩し、出産方法も増えただろうけど、どこかにしがみついて叫んで闘いながら出産しているのはどの時代も変わらないのだろう。急に大昔の母ちゃんたちに親近感。

…とか、そんなことを考えたのは多分数秒で、すぐ次の陣痛がくる。出産が迫っているので次々に来て、間隔が空かなくなった頃。

いきんで!と言われた時に気づく。
考えたことなかったけど、いきむって何?!?!
(トイレで出すときのように、だそうです)

お腹に空気を溜めていきむよう言われ、その通り数回繰り返す。もう痛いし疲れたし、何より眠たかった。

ちょっとだけ休ませてくれないかと思ったとき、当たり前のことにハッと気づく。
私が産まないとこの子は産まれないんだ!
私が諦めたらこの子は産まれない。

私は今、33年の人生で初めて、絶対に諦めてはいけない闘いをしている。
いつもならこんなに辛かったらめげて、放り投げていただろう。
ああ、これまで幾つのことを諦めたり、簡単に挫折したり、他人に投げたりしてきただろう。思えば何かやりとげたことなんて無かったのではないか。

…と、そんなことを考えたのも多分数秒で、じゃんじゃかお産は進む。
子よ、私は初めて、諦められない状況にいる。
これまでの人生の情けなさをこのタイミングで痛感。痛いし眠いし、泣けてくる。

もうすぐだよ!上手!もう頭が見えてるよ!と皆んな励ましてくれる。
この時も、ものすごく眠たくて辛かった。

で、出てきたらしい。

Aさんが
『今どゅるっと出たでしょう!産まれたよ!』
と言って、なんと赤ん坊を抱いていた。産んだ感覚はまったく無かった。

自分の股の向こう側に、赤くて、立派に人間の形をして泣く「赤ちゃん」がいる。
本当にわたしから産まれたのか。
股の向こう側が別世界で、パラレルワールドからヌッと出てきたのではないかと思う。

1月28日、18時15分のこと。
14時間半の闘いになった。初産としては平均くらいだけど、とても長かった。

あれよあれよと赤ん坊は、少し離れたところのベッドで処置を受けている。
私は私で、胎盤を出したり、会陰を縫合されたり、いろんな処置を受けつつ、たくさんの助産師さんや先生におめでとうの言葉をいただいた。

横目で我が子を見る。
最初に思ったのは「堂々としているなあ」だった。
彼は堂々と泣いて動いていた。
まだ自分から生まれたことが信じられない。

出血が多かったことと、臍の緒が長くどこかに絡んでいたことで、出てくるのが少し大変だったらしい。スタッフが多かったのも、数人のドクターが来たのもそういう訳だったのかな。
最後の最後は吸引されたらしい。言われたかも知れないけど、わからなかった。
吸引のため、会陰を深めに切開したそうで、縫合は結構時間がかかった。

ヘェーと思ったのは、臍の緒は75センチを超えると長いとされるところ、息子と私の臍の緒は84センチあったそうな。そりゃ長い。

お腹の中から様々な難関をくぐり抜け、息子は私より大変だっただろうに、びよんびよん動き、わーわー泣いて、気づけば私の隣で静かに眠っていた。

***

随分長くなってしまった。
この翌日から母子同室で入院生活が始まり、これを書いている今、もう生後1ヶ月が経とうとしている。
息子はものすごくパワフルに泣き、動き、新生児微笑をみせ、あーあーうーうー話すようになった。
ようやく彼との過ごし方に慣れてきて、冒頭にもある通り、ようやく少しずつ「眠たい」以外の感覚が戻ってきたところだ。四六時中眠たいのは変わらないのだけど…。

まだ親になった実感はない。
まわりに「ママ」と言われることに違和感がある。本当に産んだのだろうか。
このひと月は、目の前のことに必死だった。今やっと、家族と笑ったり、息子とのことに賑わうのがおもしろい。
これからどんどん彼は成長し、わたしも変化してゆくだろう。

もっと書きたいことがあった気がするけど、もういいか。
もし…こんな長々としたものを読んでくださった方がいらしたら、ありがとうございました。
息子、誕生おめでとう。お疲れ様。
応援してくださった方々、家族、病院の皆さんに本当に感謝しています。

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