ないまぜな曲の話

その前に、私は靴が好きで。

スニーカーやらパンプスやら全部で30足を越えている。

買ったきっかけや、一緒に行ったところとか。

靴たちとの思い出を書きたかったけど、すっげ~長文になってしまったので。

完成させてから次を書こうと思ったら、何も書けないまま数か月が過ぎてしまったので。

もう違うこと書いちゃう。

そして靴のことは分割して書いてみよう。


国民的に大人気で、知らない人がいない曲だと思う。

たとえば君がいるだけで心が強くなれること。何より大切なことを気づかせてくれたね。 米米CLUB

負けないでもう少し最後まで走り抜けて。どんなに離れてても心はそばにいるわ。 ZARD


この2曲には、祖母の死の思い出がくっついてきて、

何とも言えない気分になるんだ。


君がいるだけでは92年5月・負けないでは93年1月リリースらしい。

特別寒くも暑くもなかったから、祖母が亡くなったのは93年の春ごろなんだと思う。

父の実家に向かう車の中で、ラジオで何度も流れて来た。

2曲ともロングヒットな曲だったことがわかる。


その春が、身近な人の死を初体験した時だった。

小学生になったばかりの自分には、正直なところ実感がなかった。

亡くなる数年前から入院していたんだと思う。

当時私は東北に、祖母は島根県にいた。

今みたいに気軽に飛行機に乗れたわけでもなく、
お見舞いも含め、祖母と会ったのは記憶の中では数回だった。

(もちろん記憶外で会ってることは写真見てわかってるけど)


覚えているのはとにかく柔らかく穏やかな人だった。

祖父がとにかく怖くて、対比すると余計にそう見えた。

夫婦ってバランスだな。


一緒に東北の観光地に行ったとき、私は何気ないうさぎのキーホルダーを欲しがった。

母にねだるが買ってもらえず、半泣きでぐずっていたところで祖母が買ってくれた。

透けたプラスチックのうさぎで、黄色の女の子と水色の男の子がセットになってるやつだ。

当時の私はそれをガラスだと思っていた。

だから余計に欲しがった。

買ってもらってとてもとても嬉しかった。

その時だけは恐れている祖父に肩を抱かれながらも、笑顔で写真に納まることができた。


中学生までずっと通っていたスイミングスクールのカードケースにくっつけていた。

スイミングスクールが1番楽しくて辛くて楽しくて、

だから

1番大事なものをつけて行っていたのだ。


いつなのか、どういうきっかけかもわからないが、トトロのぬいぐるみももらった。

経緯を全部忘れているけれど、祖母からもらったことだけは覚えていて、

今も1人暮らしの部屋にある。

形見、なんだと思う。



火葬場で祖母を待っているとき、3つ上の兄に「死んだらどうなる?」と聞いた。

「灰」と兄は答えた。

幸か不幸か、「HAI」が漢字変換されないくらい幼い私だった。

言葉の意味が分かるようになってこのシーンを何度も思い出すけど、

兄も当時の年にしてよくズバっというよなと。

いやズバッとしか言えない年なのか。


私はなんで兄に聞いたんだろう。


きっと父が悲しそうだったから。

話しかけられなかったのかもしれない。



今その2曲に出会うと、ぐるぐるっと感情の渦が沸きあがる。

悲しいとか嫌な気持ちだけじゃない。


うさぎのキーホルダーを買ってくれたことも、「灰」と言われたことも、全部一気によみがえる。

温かさとないまぜになって、ああ、ってなる。

小学生の時に編んだ、何色かのプロミスリングみたいな。

ああ、って。

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