新しい居場所
振り返り⑧
2021/05/17~23
通級支援教室(通称ニッコリ教室)の存在を知ってから登校するようになった。
と言っても、今までのように歩いて行くことはなく、送り迎え必須なのでわたしの勤務時間との兼ね合いで登校時間が決まる。
この時は
9時校門送る、昼休み迎えに行って給食・掃除で帰るパターンだったので、
そのまま自宅に送り、わたしはまた出勤。
やすみの日は息子のペースで登下校。
付き添い登校もしていた。ニッコリ教室にはしんどい子がやすんだり、体育の着替え用についたての向こうにソファーがあって、そこで存在を消し息子の様子を感じながら読書したり外を眺めたりして過ごした。
この頃の息子は、寝るときは冷え冷えマクラ使用、毎朝の頭痛は変わらず起こる。
変わった事といえば、裸足でサンダル履き、手ぶらで登校。
先生に「俺、勉強しないから。なにも持ってきてないから」って自己主張はしっかりしていたなー。
この日は仲間がひとり増えていた。
息子が面談した時は「利用していた子達がみんな卒業したりクラスに戻ったりで今はぽん太郎君ひとりです」って聞いていたからその時は えー!ひとりかー と心配だったけど、実際増えたら ひとりのほうが手厚いフォローが受けられるんじゃないか となんとも自己中な気持ちになった。
結局みんなそれぞれのペースでニッコリに居場所を求めて、少しずつ人数が増えていく。
この週で3人仲間が増えた。
それだけしんどい子が多いという事を知る。隠れ不登校ってこういう事か。クラスには行ってるけど無理してる子もなかなかの人数がいるらしい。
この時にニッコリで顔を合わせていた子は同じクラスの女子だった。
詳しくはわからないけどなかなか集団に馴染めずやすみ時間がしんどくて、ずっと授業だったらいいのにって思ってたみたい。
いろんなタイプがいるんだねー。
この後何回か顔合わせたきり結局卒業まで会うことはなかった。
息子は
「ニッコリに来なかったらTと話すことなかったわ。俺手ぶらで行ったからえんぴつとか消しゴムとかかしてくれて、めっちゃ優しいしいいやつやったわ。おとなしいと思ってたけどけっこういろいろ喋るし」って。
(そんな風に思えるならこの時間にも意味があるのかもな~と思えたのはだいぶ後になってから。この時はそんな余裕はない)
「仲間ができてよかったね。クラスに戻った時も助け合えるね」って言うと、
「あーでも俺とTがしゃべってたら他の女子がなんか言ってくるやろなー」と。
(こどもの世界にもいろいろあるんだなーと思ったのは覚えてる)
朝頭痛でフラフラの日も(無理矢理)行った。
朝から行ったり、昼から行ったり、日によってまちまちになりながらも(無理矢理)行った。
行ったら行ったで楽しんでると思ってた。
(コレ一番危険なおとなの思い込みらしい。この時期にゆっくり休んでいれば長引くのを防げることもある。そんな事この時は知らないしなんとかして連れて行っていた。今思えばわたしのただの自己満足)
そしてこの頃夫は
どうにかして連れていけ、引っ張ってでも連れていけの時期。
ほんと毎回思っていたのは 自分で行ってよ!毎朝もがいて苦しんで葛藤してようやく 行く! って決めてるあの状況見てから言え!と 笑
どう説明しても伝わらないし、息子を責める風向きになるから黙っておく。
こういう事もあってとりあえず連れて行ってたんだと思う。
お父さんは俺の話聞いてくれない って言っていた。
結局、月曜から4日登校して金曜はとうとう力尽きる。
朝から小さい子のように駄々をこねて、心配で同伴出勤。
そして土日はいつもどおり友達と遊びに行った。
わたしは息子を送り出した後ソファーに横になったまま動けなかった。
#不登校 #不登校児 #不登校生 #不登校の親 #明るい不登校 #選択の自由 #多様性 #マイノリティ #通級支援教室
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?