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衝撃の事実 ③

振り返り ⑮
2021/06/06~中旬

辛く悲しい事実を知った次の日はトレーニングマッチの予定。

集合は午後だったけど朝から頭痛。
学校と同じく休むと決めたら元気になる。

どうしたらよいのかわからなくなっているのは夫も同じ。
試合となれば車出しをして、わたしたちも息子と共にサッカーを楽しんでいた。
生活の一部になっていたからサッカーも行けなくなった息子をみるのはショックでしかなかった。

俺は試合には出ないけど観に行きたい!

開始時間は過ぎていたけど会場へ向かった。
息子は監督に挨拶をして、コーチとも話す。
チームメイトにも声をかけ、帯同している保護者にも挨拶をする。
なにが起こってるのかみんな不思議そう。
なんとも言えないモヤモヤを抱え帰る。

その後も参加できないまま日にちだけが過ぎる中で、学校へは五月雨登校を続けながら息子に変化が訪れた。

・キャプテンが決まった事知っていた。俺もその場にいた。
俺頑張ってきたのに副キャプテンでも6年のリーダーでもなかった。
誰も俺の事みてくれてなかった。
・副キャプテンじゃなくても頑張ろうとしたけど、Kにお前はもう副キャプテンじゃないからでしゃばるなって言われた。
みんながふざけてるから注意しただけ。試合中はキーパーとして指示出してるだけなのに。
・低学年の練習のお手伝いは誰が行ってもいいのにお前は来なくていいって言うくせに、行くのめんどくさいとかしんどいって文句言ってて、めっちゃ腹立ったから そんなに嫌なら来るな!俺が行く!って喧嘩になった。

こんな事を話しはじめた。
晴天の霹靂、寝耳に水、言葉の使い方が合ってるかわからないくらいいろんな言葉が頭をよぎり驚きとショックだった。

ひとりで悩んでたの?
しんどかったね、その時に言い出せなかったのつらかったね と抱き締めた。
泣いていいんだよ、悔しかったら声に出していいんだよと言いながら。

なにかが弾けたように泣き出した。

泣いてスッキリしたのと、わたしたちにも言えずに苦しんでいた事を吐き出して安心したと言っていた。

もっと早く気づいてあげられたはず。
話せる環境にできてなかったのを激しく悔いた。
褒めたり激励してきたつもりだったけど、ダメ出しも多かったよね。

そして、息子を攻撃していたKを許せなかったし、K母にも嫌悪感が涌き出てきた。
その子が嫌なヤツだと夫は知っていた。
息子に嫌がらせをしていた場面を何度も目撃していて、なんでやり返さないのか、なんでされるがままなのかやきもきする場面があっらしい。

息子なりに言い返したりはしていたけど、話が通じないようで諦めてしまったと。
殴りたい事もあったけど、小さい頃から なにがあっても手を出したら負け って言われてたから我慢したとも。

確かにそう育ててきた。
泣き虫ぽんちゃんで有名なくらいで、すぐ泣くなって何度も言ってきた。
(今ならそれも個性だし、かわいいもんと思える)
年中途中からからだが大きく力も強かったから、お友達を呼ぶときにねぇねぇって肩をポンポンしただけで 叩かれた! とか、
ちょっとぶつかって相手がコケただけなのに 押されてこかされた とか、
やられた!と言われる事がよくあって何度謝った事か···そんな事もあっていろいろ我慢させてきてたのだと気づく。
今思えばもっと適切な対応ができたのに。

はぁ~、なんかいろいろゴメンて反省したけど、もう取り戻せない。

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