見出し画像

寒河江(さがえ)の街に恩返し。   我が街で起業を!(1)

生まれは山形県寒河江市。

そろそろ寒河江に戻り余生を楽しみたい・・・

寒河江の街の活性化と何か恩返しができないかを一緒に考えてほしいとの依頼。

私は税理士。その方の会社の顧問税理士を勤めて10年くらいだろうか・・・

会社に訪問の際は、いつも行きつけのイタリアンでランチをご馳走になってる。歌を歌い、社交ダンスをやり、70半ばの白髪の洒落た社長である。ハンサムで背格好もよく、なかなかのダンディーであるが、よく下ネタを連発するので多少引き気味で話を聞いている私である・・・

そんな彼であるが、上京して50年くらい経つのだろうか。そろそろ田舎が恋しくなったようである。

社長「寒河江で何か事業できないかな?田舎に恩返しをしたいんだ。」

元々、私も福井の田舎で育った人間で、その気持ちもよくわかるし、また地方の活性化や何の恩返しができるかに興味が有った。

私「社長、寒河江に行きましょう!とにかくどんな街か見てみたいです!」

とりあえず行動!考えていてもしょうがない。と、まあこんな感じで始まりました。

そこで山形県寒河江市を事前に調べて見た。

さくらんぼの佐藤錦が有名。イチゴや洋梨その他多くの果物がありそう・・以上

いや、もっと何かあるはずだ!

誰か有名人はいないか?

AKBに誰かいないか?

夜の街の楽しみ方は?

とか期待に胸を膨らませ現地に赴くことにした。

決して旅行ではない・・・仕事である。


本来の税理士としての仕事は、会計業務や税務申告業務が主流である。

しかし、お客様の事業が上手くいってこそそれらの業務の依頼があるのであって、事業が上手くいっていなければその依頼も無いわけで、まずは事業の土台を作ってあげたい。

前述したが、私は福井の生まれで実家が漁師民宿を営んでいた。まだ昭和の時代である。

夏になれば、海水浴目当ての観光客がたくさん遊びに来てくれて相当賑わっていた。


朝日が差し込む頃、定置網船が帰港して魚が水揚げされると物珍しそうに多くの観光客が集まる。シイラやカジキ、ハマチ、トビウオなど都会のスーパーでは見られない丸ごとの魚が跳ね回ってる。これを民宿に持ち帰り朝食になる。美味いに決まっている。両親と祖父母が営む実家の民宿でもそれなりに美味しかったと思う。むしろ手を加えない方がいい。漁師料理とはそう言うものだ。新鮮な漁師料理を期待してお客様は来てくれた。いい時代だった。

朝食が済むと早速海水浴に出かける。と言っても目の前が海。ギンギンの夏の太陽、キラキラ輝く海、朝から暑苦しいセミの声、観光客が砂浜で楽しそうにはしゃぐ。昼頃には狭い砂浜が観光客で一杯になり、かなり賑わっていた。

観光客が疲れて民宿に戻ると、父母は気さくに声をかけ、ジュースやスイカを振る舞っていた。(俺にはないのか・・・)

と、まあ気兼ねなく利用できるのが民宿の良さでもある。

まさに私が育った良き昭和の時代であった。


しかし、今ではそういう風景は見られない・・・

まるでプライベートビーチのようになってしまい、閑散としている。

両親は、まだ漁師を続けているが、民宿は廃業した。その地域の大半は既に民宿を廃業している。

それだけならまだいいと思うが、地域に活気がないというのは、人口の減少や経済的にも影響が出てくるものと思う。

個人的な話が長くなってしまったが、話を元に戻すと東京から見ていると地方の活力の無さを感じてしまう。その土地の風土や慣習、文化、産業が壊れていくのではないかと心配をする。

依頼のあった社長の気持ちもそうだと思う。寒河江に帰るたびにもどかしさを感じていたのではないだろうか。

「もっと何かができるのではないか?」

本来地方には、その土地の素材が多く眠っているような気がする。

その素材の引き出し方や見せ方、売り方次第で事業に結び付けていくことができるはず。その地盤をもう一度築いてあげたい。

私は税理士として、というより一個人として、ゼロから事業を立ち上げたい人のお手伝いや地域で役に立てることを考えていきたいと思う。

ということで、そういう思いを描きながら寒河江に行ってきた。

つづく   

↓ 寒河江市から望む月山

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?