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ロープで人を殺すには

ロープで人を殺す方法は3種類ある。

1つ目は「頚動脈を締める」。
2つ目は「大縄をやる」だ。

恐らく「大縄」の言葉だけで国民の5分の1くらいの人は死ぬと思う。

大縄というツールは、特に学校で、集団の絆を確かめる方法としてよく使われる。

しかし、あんなので確かめられるのは絆でもなんでもなく、「その集団の運動能力の平均値」だと思う。

なのに大縄の回数=絆の深さだと思ってるバカが蔓延しているせいで、「大縄できない人=輪を乱す人」という風評被害が生まれている。

そもそもただ地元か偏差値が同じだけで集まってる軍団の絆を確かめようとすること自体バカなのだが、その方法が「なわとび」だなんてバカの上塗り。バカのミルフィーユ。バカの関東ローム層。

そんな状況でこの地獄イベントに参加させられる運動神経悪い人の身にもなって欲しい。
精神が完全に死ぬ。

大縄には2つ形式があるが、その両方共が地獄性を有している。

1つはみんなが縄の中に入って飛ぶパターン。誰かが引っかかれば即犯人探しが始まる。
もちろんあからさまにはやらないだろうがそういう空気になる。
また超近距離に人がいるのでシンプルに飛びにくい。自分のせいで誰か他の人が引っかかるということもあり得る。

2つ目は8の字飛び。
引っかかった人公開処刑スタイル。自分が飛んでいる瞬間の視聴率はほぼ100%。また、飛ぶだけではなく「入る」「出る」の動作が加わるので高難度だ。

こんな最悪のスポーツ、逆に運動神経いい側の人々も本気で楽しいと思っているんだろうか。

自分ができることを、他人ができないせいでスムーズにこなせないなんてストレスでしかないと思う。

「ドンマイドンマイ!」とか「みんなで数数えよー!」とか言いながら猛烈な殺意に駆られているに違いない。

つまり大縄で得するのはバカだけなのだが、なぜか僕は事あるごとに大縄をさせられている気がする。

言い忘れたが、実は僕はなぜか数あるスポーツの中で大縄飛びだけ得意である。

証拠の画像を見せよう。

この写真は高校の体育祭の写真なのだが、他に比べて圧倒的な跳躍力を見せつけているのが僕だ。これを大縄得意と言わずになんと言う。


いや、確かにフォームがキモいことは自覚している。よく見たらなぜ手がこんなに前に出ているのか意味がわからない。足首も細すぎて砂時計みたいだ。しかし、引っかかることは本当にない。信じてください。


だからこそ大縄苦手な人が不憫なのである。

他のスポーツで自分だけできないことの恐怖を味わい続けたからこそ、大縄で引っかかりまくる人のことは見てられないのだ。

もし30回飛ぶことを目標にしてそれが達成されたとしても、正直何も嬉しくない。誰も傷つかなくてよかったという安堵しかない。そこに絆とか感動が入り込む余地はない。

つまり大縄はマイナスかゼロしかないのだ。

大縄に限らず、学校はよく「マイナスかゼロ」のイベントがよく行われる。

もう十分なくらい批判されてるのであんまり言いたくないが、人間ピラミッドなどもそうだ。

こういうイベントは第三者目線から見ると感動モノらしく、PTAの視線を考慮した学校側は毎年これを運営せざるを得なくなる。

ここで生徒は感動ポルノのための見世物でしかないわけだが、親が喜ぶんだから仕方ない。運動神経などの能力は完全無視の「絆」という謎の概念のもと意味不明な努力をさせられるのだ。もっと運動音痴の声を聞いて欲しい。



そういえばロープで人を殺す方法の3つ目を言うのを忘れていた。



3つ目は「綱引きをやる」である。








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