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やさしい砲撃をすぐに
ドッヂボールを考えた人は気が狂っていたと思う。
どんなスポーツでもボールを体に当てたら反則なのに、それをしたら点が入るというアナーキーなルールは、変なキノコとか食べない限り思いつかないだろう。
多分アーチェリーとかやってる時に「コレ的が逃げ回る人間だったら面白くね?」とか言って思いついたのだろう。
そんなクレイジースポーツは今、なぜか教育の現場でよく用いられる。
そして僕も学生時代はよくドッヂボールをやらされた。
その中で、いつも気になっていることがあった。
ドッヂボール強い奴ってなんでドッヂボール強い奴しか狙わらないんだろうか。
僕は運動神経が終わっているのに、なぜかドッヂボールでは結構終盤まで残ってしまう。
戦略的に、まず僕のようなフラフラしてるだけの弱虫や団子になって逃げてるだけの女子を先に全滅させた方が効率的ではないか。
先に強い奴当ててもどうせ外野から復活されて無駄撃ちになるだろう。
でもドッヂボール強い奴ほどそんなことはしない。
もしかして、ドッヂボール強い奴ってめちゃくちゃバカなんじゃないだろうか…。
しかしこういう考え方もできる。
ドッヂボール強い奴は強いなりの余裕がある。つまり周りが見えている。
ただ「勝ちに行く」だけではなく、「みんなが楽しめるゲーム作り」をすることもできる。
ドッヂボールが苦手な人を先に当ててしまっては一生内野に戻れないので可哀想。だからあえてドッヂボール強い奴を狙っているのだ。
なるほど!それは平和的ですね!
とはならない。
なぜならドッヂボール弱い奴は別に内野にいたくないからだ。
ドッヂボールの内野とは、弾丸が飛び交う「戦場」である。
昔から「戦場」にいるのは戦えるレベルの運動能力がある人だけである。
徴兵制があった戦時中でも健康診断に落ちれば戦争に参加できなかったはずだ。
なのになぜかドッヂボールでは、無差別に人民を戦争に駆り出しているのである。
もうすぐ滅びる国がやることだ。
なのでドッヂボール弱い奴は戦うことはできず怯えることしかできない。
しかしドッヂボール強い奴はそんな人達にじっくり恐怖を味わわせた末に、終盤あたりで地味に当ててくるのだ。なんという残酷な連中だろう。
こんなことならずっと外野にいて、傷を負った戦士たち心の痛みをぬぐうどっかの聖母みたいな役割を担いたいのだ。
もしかしてドッヂボール強い奴はこんな簡単なこともわからず「俺はゲームでみんなを楽しませている」と思っているのだろうか。
やっぱり、ドッヂボール強い奴ってめちゃくちゃバカなんじゃないだろうか…。
じゃあ序盤でザコに当てとけばいいのね、と思われそうだが、そんな単純でもない。
ボールに当たったら痛いじゃん。
痛いのはいやなので、ドッヂボールが得意な人はできるだけ緩い球でザコを撃破していただきたい。
やたらめったら攻撃するような暴君プレイはよしてほしい。
とにかく、ドッヂボール弱い奴からすればサッサとやさしいボールに当たって、外野に行ったらずっと試合を静観する、という形が一番理想的なのだ。分かったか。
じゃあ仮病使って見学してろと言われそうだが、それはハブられてるみたいでやだ。
……………………。
もしかして、ドッヂボール弱い奴ってめちゃくちゃワガママなんじゃないだろうか…。
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