大人になったら体育祭ないよ

なんで他の科目は「文化祭」にまとめられるのに「体育祭」だけ独立してあるんだろう。

運動神経が悪い人にとって、体育は当然1番嫌いな科目だ。

つまり僕にとって体育祭は、1時間目から6時間目までぶっ通しで嫌いな教科をやらされる日なのである。

体育祭の前日は、毎年憂鬱だった。



小学校の体育祭では、「全員リレー」という種目があった。

要するにクラス対抗で全員が参加するリレー対決なのだが、体育祭の前にその走順を決める会議があった。

もちろん誰も直接そんなことは言わないが、この会議の場での一番の論点は「足遅い奴をいつ走らせるか」である。


順番を入れ替えたところでクラスメイトの合計タイムは変わらんだろと思っていた。
しかし、運動できる人はどうしても順番にこだわりたいらしく、ほぼケンカしてるぐらいの勢いで足遅い奴の走順を議論していた。


「最初に俺ら走ってリードして、最後に足遅い奴持って来るか?」

「そんなの負けるに決まってんだろ。最初に足遅い奴に走らせるんだよ」

「最初と最後を足速い奴にして、足遅い奴をサンドイッチしたら?」


僕はどんな顔でこの話を聞いてればよかったのだろうか。

僕が一言「じゃあ俺出ないわ」と言えば全てが解決するのになと思いながら机に落書きとかしていた気がする。


僕は親に瞬足を買ってもらった。
コーナーで差をつけたいというよりは、迷惑をかけたくなかった。



中学1年の時の体育祭では、「台風の目」という種目に出場した。

この競技、4人くらいで1つの棒を持ちながら走るので、個人の足の遅さがかなり目立ちにくい。

僕は喜んで台風の目にエントリーした。

しかし、体育祭の練習で悲劇が訪れる。

僕は同じ棒を持つ仲間とスピードが合わせられなかったのだ。

チームの組み合わせをどう変えようが、僕が鈍足すぎてみんなのペースを狂わせてしまう。

別に好きでやってるわけではないのだが、このせいで足が速い奴にめちゃくちゃ肩パンされた。

右肩が内出血で遠山の金さんみたいになった。

当時の担任は体育教師で、ガチで体育祭に勝とうとしている人だった。
そんな担任からもやんわり戦力外通告を受け、僕は台風の目から騎馬戦に異動になった。

話がそれるが、僕は中高6年間のうち3年間、担任が体育教師である。恐らく何かの陰謀だ。

なんで騎馬戦なんて危ない種目に出なきゃいけないんだと思ったら、「ガリガリで持ち上げやすいから」という理由だった。

実際、僕を頂点にした騎馬隊は抜群の機動力を見せて戦場を逃げ回った。

ただ、戦闘力はゼロなので一度ロックオンされるとあっさり負けた。

なので騎馬戦が強い奴にめちゃくちゃ肩パンされた。



高校の体育祭でも、エントリーする競技に本当に困った記憶がある。

運動音痴のオアシス、玉入れには絶対エントリーしたかったのだが、なんと僕の高校は玉入れが女子限定だった。
ほんのりレイシズムを感じてしまうが仕方ない。

二人三脚も足の遅さが目立ちにくいので魅力的だったが、なんと僕の高校は二人三脚が男女ペア限定だった。
さすが修学旅行の夜男部屋に潜り込んだクソビッチに推薦を与えた高校である。

もちろんこのヒューヒュー的な要素が見どころの競技だったので、モテない僕は社会的にエントリーすることができなかった。

結局エントリーするのは毎年大縄跳びだった。
大縄跳びは運動神経というよりはリズム感なので毎年なんとかなった。


しかし高校からは、体育祭だけでは飽き足らず謎の「球技大会」という奇祭が現れる。

球技大会は2日間行われ、野球、バレー、バスケ、サッカー、ドッヂボールのうちから1人2種目エントリーしなければならなかった。


僕は野球とドッヂボールにエントリーした。正直野球はルールがよくわかっていないのだが、まあ周りが何とかしてくれるだろと思っていた。

そして球技大会当日、野球の打順を待つ僕に、野球部の人がこう話しかけてきた。


「ワンチャンお前出なくてもいいんじゃね?」


確かにチームは9人以上いたので、僕が出なくてもゲームは回る。
運動神経がいい人の中にも「わかってくれる人」がいたのだ。
僕はいたく感動した。
そしてもちろん、こう答えた。



「じゃあ俺出ないわ」




その日僕は、ずっとベンチでアリを見ていた。






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