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投げの嘆き
中1の時、体力テストのソフトボール投げで4メートルという記録を出してしまった。
言い訳をすると、決して腕力がなかったわけではない。
ソフトボール投げでは2回投げるチャンスがあるのだが、僕は1回目の投てきで足をラインの外に出してしまい記録なしになってしまった。
「足をラインから出してはいけない」と意識した瞬間、ボールをどう投げていいかわからなくなった。
とりあえずとにかく思い切り投げてみたら、ボールを地面に叩きつけてしまったのだ。
「ラインを恐れてヘマをする」は運動神経悪い人あるあるだと思う。
挙句僕はバランスを崩してその場で転倒、恐らく人類史上初、ソフトボール投げでヒザを擦りむいた人になった。
結果を親に報告すると、母には笑われたが父にはマジの心配をされた。
父はスポーツマンだった。
幼少期は祖父が監督を務める少年野球のチームで活躍し、中学ではバレー部、高校大学ではサッカー部に入り、社会人になっても会社のサッカーチームに所属していた。
そんな遺伝子を1デオキシリボ核酸も継いでいない息子を心配するのも無理はない。
僕もたまに、自分は母がメチャクチャ運動できない人と不倫してできた子なんじゃないかと思うことがある。
父は僕に、ソフトボール投げの特訓を命令した。
月2回、近所の公園で父とキャッチボールをしなくてはいけなくなった。
なぜ月2回なのかというと、父は単身赴任をしていて月2回しか家に帰らなかったからだ。
つまり父は、家族で過ごす週末を全て僕とのキャッチボールでつぶす気だった。
僕が抵抗する間もないまま、父はソフトボールと野球の教本とグローブとグローブに塗る用の変な油を買ってきた。
父と子が近所の公園でキャッチボール。
ドラマや映画でよく見るシーンだが、僕にとっては苦行でしかなかった。
キャッチボールの恐ろしいところは、終わりがないところである。
野球なら9回裏までいけば強制的に終われるが、キャッチボールは誰かが言い出さない限り終われない。
そして僕の場合は特訓をしている立場なので、師匠に「もう終わりましょう」と言うことはできなかった。
また、僕はキャッチボールが下手くそすぎてラリーが全然続かなかった。
ボールを投げあいながら「最近学校どうだ?」「まあまあかな」「まあまあってなんだよ笑」みたいな会話をするのが父子のキャッチボールの醍醐味なのだろう。
しかしなにせラリーが続かないので「最近学校どうだ?」「まあま…アッ」みたいになって会話にならない。なので全然楽しくない。
こんな時間が延々と続くのだ。
僕は仮病を使うようになった。
「寝違えて首が痛い」のような、活動はできるけどキャッチボールは厳しいというギリギリのところを突いてなんとか地獄の時間を避け続けた。
父は何も言わなかった。
いつしか父の方からキャッチボールを誘ってくることもなくなった。
僕の飲み込みが悪すぎて指導するのが嫌になったのだろう。
せっかくの家族と過ごせる休日を、こんなポンコツとキャッチボールをして費やすなんて確かにアホらしい。
しかし、僕に少しはソフトボール投げの技術が身についたことは確かだ。
続かなかったとはいえ、野球経験者と朝から晩までキャッチボールをしていた時期があったのだ。記録は伸びるに違いない。
中2の体力テスト。他の種目は平均以下の雨あられだったが、ソフトボール投げには並々ならぬ自信を持って臨んだ。
結果は、11メートルだった。
中2にしてやっと小2の記録に追いついた。
ちなみに女子なら小4レベルの実力である。前の記録が4メートルだと考えれば圧倒的成長だ。
高校からは体力テストの投てき種目はハンドボール投げに変わった。
ボールがでかくなったとはいえ、基礎は同じだろう。中学からさらに成長した投てきを見せてやると意気込んでいた。
体力テストの結果が帰って来た。
ハンドボール投げの欄には、文部科学省からの熱いメッセージが記されていた。
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