青信号無視
歩行者信号で、赤は「止まれ」である。
対して青は「進め」だと思われがちだが、正確には「進むことができる」だ。
青信号を止まる人などほとんど見かけない。
かく言う自分も青になれば何も考えずに進む。
しかし、別に進まなくても信号無視にはならない。
青信号においては「”何も考えずに”進む」こそが”信号無視”である。
「進むことができる」と言われただけなのだから、左右を見てプリウスが突っ込んでこないか確認し、自分の判断で進まなければいけない。
正直言って、自分の人生は基本的に青信号だった。
めちゃくちゃ転校したり高校受験に落ちたりもしたが、今思えば大したことのない不幸だった。
一般的な家庭に生まれ、ひもじい思いもせず、浪人も休学も留学も留年もせず、一般入試で第1志望の大学に入った。
入学後もそれなりに勉学に励み、バイトもそれなりにこなし、サークル活動にもそれなりに打ち込み、そんな話を偉い大人に伝えてそつなく就活を終えた。
ここまで止まることなく進んでこれたのは確実に環境のおかげである。
「それなりに」がどれほど難しいのかをそれなりの勉学で学んだ。
自分はたまたま青信号ばっかの道に産まれてきただけだ。
しかし先述したように、青信号は「進むことができる」という意味しか持っていない。
自分は勝手に何かのレースに参加した気になり、青は「進め」と解釈し、見えもしないゴールにいち早くたどり着くため奮闘を続けた。
東京へ内定受諾しに行った日、今まで何度も来ていた東京で一切観光をしていなかったことに気づいた。
1分間の自己PRを仕上げ、志望動機を400字に圧縮するのに夢中でそんな余裕すらなかったのである。
用はなかったがゆりかもめに乗り込み、お台場で東京湾だけ見て帰った。
人は美味しいものを美味しいと感じ、面白いものを面白いと感じ、風を涼しいと感じ、パンダを意外と茶色いと感じるために生まれたはずだ。
誰かと競い合うよう頼まれた記憶はない。
信号が全部青だからってどこかで止まってても良かったのである。
……とか考えていたある日、突然地球にプリウスが突っ込んできた。
全世界に「止まれ」の信号が現れた。
つい最近清々しい気分で見に行ったレインボーブリッジが真っ赤に染まっていた。
僕にとって人生初の赤信号である。
まさかこんな形で訪れるとは。
あれからもう1年くらい止まりっぱなしだが、左右の景色に目を配り、要約のない思いを巡らせる日々が新鮮すぎてあまり停滞していた実感がない。
錆だらけのマイナビには目もくれず意識の低い日々を送っていたら、日本にも徐々に青信号が灯り始めてきた。
止まない雨はないというべきか、多少濡れてもどうでもよくなったというべきかはわからない。
ただ、周りを見れば多くの人が歩みを始めていた。
僕は今度こそ、青信号を守りたいと思った。
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