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あなたは何の色眼鏡?

私は今看護師として働いていますが、「看護師である○○さん」にはならないようにしたい、そう思ったエピソードをお話ししたいと思います。

私には知的障害をもつ弟がいます。

障害とありますが、人並みの勉強が少し難しいだけで、日常生活は普通に過ごしている、そんな弟です。

そのため、学校では特別支援クラスに所属し勉強をしていました。

特別支援クラスは、通常のクラスと比較すると、クラス全員の中で勉強することが難しい生徒が利用しています。

そのため、授業のスピードはゆっくりめです。

弟の通っていたクラスも、少人数のなかで勉強をするというスタイルでした。

一見すれば、

「その生徒のスピードに合わせた授業は素敵」

そんな気持ちを抱きますよね。

確かに、その面はあると思います。

ただ、うちの両親は特別支援クラスの先生とよく授業や進路に関することで意見が食い違い、不満を抱いている場面が多かったのです。

授業で言えば、弟は中学生の時に小学生レベルの問題を理解することが難しかったため、小学生の段階の勉強をしていました。

弟本人の努力の成果もあり、ゆっくりではありますが、徐々に学力は上がっていきました。

そうなると、授業のレベルも合わせて上がっていくことになりますよね。

でも、このクラスでは「もうこんなこと分かってる内容だよね、、、?」という段階の勉強を続けていました。

いくら、勉強が苦手な生徒が相手だからと言って、、、というような感じでした。

そして、進路について考え出す3年生の頃。

弟の学力は、計500満点の学力テストでは200点とれるか、、、そんな点数でした。

「テスト勉強全然やってなーい♪」っていうのとは違います。ガチでとれないのです、、、。

本人を見ていても、周りの子と同じようにできないという劣等感を強く感じているのは、なんとなく伝わってきたものでした。

そんな中、特別支援クラスの生徒から提案された進路先、それは

「養護学校」。

養護学校とは、知的障害や肢体不自由、病弱者に対して幼稚園、小学校、中学校、高等学校に準ずる教育を施すとともに、障害を補うための知識、技能を授けることを目的としたところになります。

この説明からすると、知的障害をもつ弟はこの学校へ就学することは可能です。

定かではありませんが、先生もそのように思ったことと思います。

一方、両親は別の視点から考えていました。

養護学校を卒業した場合、一般就労ではなく特別枠(障害者枠等)で入ることとなるそうです。

そうすると、就労先がだいぶ限られる上に、給料面でも頂ける額は下がるというのです。

両親からした弟の将来のイメージとしては、確かに通常より学力が劣る面はあるけれど、少しずつでも学力はついてきているし、人と関わることは問題ないし(むしろみんなから好かれるタイプ)、どこかしら一般として就職できるところはあるのではないか。

一番は、この10代の段階で将来の幅を狭めてもいいのか。

そんなことを話していた気がします。

進路先については、学校の先生との話し合いは行われていました。

そこで、両親の思いをいくら伝えても、先生は養護学校の一点張りだったといいます。

確かに、そのような学校が必要な子供さんがいることは確実です。そのためにあるのですから。

ただ、弟をトータルで見た場合、知的障害があるとはいえ、必ずしも養護へ行く必要があるかといえばそうとも限らない、そんな状況でした。

様々な解釈や理解があるのは当然です。

このような状況で思ったのは、特別支援クラスの先生として、子供を守りすぎる思考になっていたのではないかということです。

確かに、人より支援がプラスで必要な生徒を対象としているのですからそのような思考になるのは自然かと思います。

ただ、人それぞれ苦手とする面もあれば得意なこともあります。

特に、学校というところは学力が重要視される傾向にあるのは確かです。

その中で、人より学力が劣るというだけで方向性を一つに定めてしまっていいのでしょうか。

先生という職業は、子供に何かを教える、将来について一緒に考えるということが多いと思います。

子供にとってそのような立場の大人がいることは大切だと思います。

でも、子供を1つの方向からしか見ないこと、すなわち色眼鏡でしか見ないというのは本当にその子の将来を見えているとは言えるのでしょうか?

この経験もあって、看護師という職業ですが、誰かの将来を確定させるかのような意識ではなく、様々な意見を吸収できるような人になりたいと思います。

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