自己啓発となろう系。「今」を写す鏡。

 自己啓発書となろう系小説。
 これらのジャンルの本に関しては様々な意見を持つ人がいるだろう。それらの本を通して元気が出た!夢を持てた!と前向きな印象を持つ人もいる一方、メッセージが軽薄、話が面白くないとネガティブな意見を持つ人もいるだろう。

 中高生の頃の僕は、どちらかといえば後者の意見を持つ人間だった。
 でも、最近考えが変わった。誰が自己啓発書よりお哲学書の方が深いことを述べていると決めつけているのだろう?誰がなろう系小説よりも純文学の方が高尚だと決めつけているのだろう?
 決めつけているのは自分自身だった。周りの人の意見やイメージを鵜呑みにして、物事の実態をしっかり見ようとしていなかった。哲学書よりも自己啓発書が売れるのは、そちらの方が人々の心を打つ言葉があり、人々に元気と勇気を与えるからだ。純文学よりもなろう系小説が売れるのは、なろう系小説の方が面白く、人々が読みやすいからだ。

 深い教養と読解力があって初めて知ることのできる価値観や考え方は確かに大きな感動を与える。根本的に世の中の見方がひっくり返る感覚。コペルニクス的転回。でも、世の中はそれだけが全てじゃない。クラスやチームの中で虐められていたり、家庭的・経済的理由で自分のいる環境に苦しんでいる人も多いだろう。
 「今」の自分を変えたい。
 「今」の環境を変えたい。
 そんな絶望の中から僕たちを救い上げるのは、決してコペルニクス的転回をもたらす読書体験だけじゃないはずだ。自分を奮い立たせてくれるメッセージ。自分を肯定し、前に進む勇気をくれる言葉。それらが存分に含まれている自己啓発書やなろう系小説は、麻薬的であるとか、軽薄であるとか批判を受けるかもしれない。しかし、「今」を苦しんでいる僕たちにとっては、時にそのようなメッセージが何よりも大切なはずだ。

 自己啓発書となろう系小説。
 哲学書と純文学。
 どちらも同じぐらい尊くて、僕らの日常生活に彩りをもたらしてくれる。
 特に、自己啓発書やなろう系小説は、「今」の僕らが持つ願望や夢を写す鏡だ。その中には平易で軽薄な言葉も含まれているかもしれないが、僕らが潜在的に持つ願望の本質を突いているからこそ、フォーマットとして完成しているのではないか。多くの人に受け入れられているのではないか。
 
 本当は時代の流れに合わせて進化してきたコンテンツ。つまり、自己啓発書やなろう系小説。逆に、時代の流れが変わっても価値が担保されているコンテンツ。つまり、哲学書や純文学。それらの良さが絶妙に合わさっている作品ができれば完璧なのだけど…。自分もいつかそういった作品が作れる人間になれるよう努力せねば。
 日々謙虚。日々感謝。

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