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なんか生きんのんてしんどい思たけどな、ぜんぜん気のせいやったわ③

こんにちは 翡翠です😊

私の転機となった事をシリーズとして書き残しはじめてこれで三つめになります

今回は生理や子宮のお話と、妊娠や出産、流産や子宮外妊娠という表現も使っています
少々生々しい部分があるかと思いますが予めご了承ください

書いた事は今まで誰にも話してこなかった部分もあるので、私を知る人にとって驚く内容もあるかもしれませんが、私が私でいれたのは全部あなた達のおかげだという事を覚えておいてもらえたらなと思います😊

エピソードNo.3


「ところで腫瘍があるのは前の病院で聞いてる?」

周りから音が消えた気がしました


小学五年生の時に初潮を迎え、今なら普通かもしれませんが当時ではクラスで二番目
学年でもTOP10にランクインするくらいで
授業で教わるよりも少し早くに始まりました

学校から帰宅すると下着に違和感があり、仲の良かった友達から話を聞いていたから知識はあったので、生理がきたのだと理解しました

とりあえずパンツどうにかせなあかん

洗面所で洗い、ナプキンの置き場が分からなかったので母の職場に電話をしました

母は何故か電話口で泣きながら
お兄ちゃんに見られんよぉにパンツ洗いや
と謎めいた言葉をかけ、帰りにお赤飯を買ってきました

兄にパンツや下着、なんなら裸を見られてもなんとも思わないんですけどね
兄以外ならパンツ洗ってるとこを見られてもいいのか?

テレビのキスシーンでチャンネルを変えるような母だからこそ出た言葉だったのでしょうかね

知らんけど😆

中学生になり身長も伸び、身体つきの変化に伴うように生理の量も増えました
当時は今ほどナプキンの種類がなく、羽つきもありません
マメに取り替えても夜用の大きなサイズを重ねても私には足りなくすぐに漏れてしまい、制服を汚す事なんて毎月の恒例でした

生理痛も強く、十代半ばではじめて婦人科を受診した際に子宮後屈という子宮が半分背中側に折れ曲がっている体質で、妊娠がしにくく継続もしにくい事、それと子宮内膜症だと言われました

子宮の内膜が妊娠に備え厚くなり、妊娠が成立しなかった時に内膜が剥がれる際に出血を伴う
ご存知の通りこれが生理の仕組みですが、子宮内膜症は、その内膜が何らかの原因で子宮外に存在し、そこからも生理周期に内膜が剥がれて出血し、生理の度に大きくなり強い痛みとなって現れます

私の場合は、後屈で折れ曲がった部分の外側に内膜症の病巣がある事がわかりました
チョコレート嚢腫と言われるやつです

十代後半にはレバー状の塊の出血と貧血もあったので鉄剤の処方とホルモン療法が始まりました

薬を使用する期間と休止期間は同じ間隔を開け、半年使用した後は半年お休みします
長期的に使用できない薬なので、半年間生理を止めているその間に病巣を小さくし、薬を止めた翌月から生理が再開します
それを1クールと数えます

毎日三回鼻腔にシュッとスプレーをするだけなのですが、これがね、忘れちゃうんですよね
一日二回とかの時もありましたし、なによりしんどいんですよ、あの薬

スプレキュアという名前の薬だったのですが、私の場合は人格が変わったのかと思うくらいにイライラして、元々キレやすい性質がパワーアップしちゃうんだから大変です

でもね、止められないんです
頑張っても止まらないんです
生理が無いのは快適だったのですが
すぅーぐキレちゃってほんと大変でした

周りが😆

抑えなきゃいけないのは分かっているのですが、でもダメなんです

トイレットペーパーのホルダーが空→ブチギレ
私のアイスを誰かが食べた→ブチギレ
誰かが落としたご飯粒を踏んだ→ブチギレ

自分が手に負えなくて、それを理解してもらえない事もしんどかったです

4クールだし四年はスプレキュアを使用したと思いますが、私にはさほど効果もなかったのでやめちゃいました

そして二十一歳から二十九歳で三人の子どもの出産と一回の流産と一回の子宮外妊娠

妊娠したら生理が無くなるので、何よりも自然で最適な治療にもなり得るのですが、性交痛もあり、とてもじゃないけど受けつけません
身体も心も受けつけないから苦痛でしかない

せっかくだし当時はまだ旦那だった方と離婚に至った妊娠と性病のお話もついでにザッと掻い摘んでみましょうか😊

📌二十一歳で一人目の子どもを出産

📌二十二歳で流産

📌二十四歳で二人目を出産
この妊娠初期の検査で性病が判明
出産や胎児の悪影響になるからと薬を処方され、旦那だった方にも病院へ行ってもらい、そのお相手の方にも薬を飲む様に伝えてと言いました

📌二十七歳で三人目を出産
またもや性病が発覚
前回と同じく薬を飲む羽目になったのですが、その時は性病が原因で流産の可能性もありました
絶対安静で入院すること三ヶ月
退院したその二週間後に今度は切迫早産で再び入院
家に帰れたのは出産後でした

📌そして二十九歳でまたまた妊娠と性病がセットでやって来ました

何度も何度も性病をうつし、三人目の子どもの命を危険に晒した旦那だった方と妊娠するような事をするはずもありません
三人の育児に疲れきって寝ている私に断りもなく
ただの道具にしたようです

その妊娠がわかった時からお腹が痛く、それは一日毎にどんどん強くなっていきました
横になって向きを替えると、その下になった身体の方向へ耐え難い痛みが流れるのです

子宮外妊娠でした
性病で卵管が癒着し、子宮まで到達する事が出来なかった受精卵が卵管に留まったまま大きくなっていました
そして卵管より大きくなってしまった受精卵のある箇所から出血

流れるような耐え難い痛みの正体は、私の骨盤内に溜まった血液が動作によって流動していた為でした

深夜に病院へ向かいましたが卵管は破裂寸前で
朝まで我慢していたら私の命もありませんでした

旦那だった方が私にうつした性病は全てクラミジアです
クラリスロマイシンという薬を毎回頼んでもないのに私の目の前で飲んでいたのですが、社内の女の子や訪れた飲み屋のお姉さんというごく普通の女性から感染しています

訳ありで若い頃に結婚し、周囲の人にたくさんお世話になったのでずっと口にする事が出来ずにいましたが、母の後押しもありようやく離婚を切り出しました

こんなふうに書きましたが、これが私から離婚を口にしたという決め手となっただけでその他にもたくさんの事はありますが、離婚なんてただの結果に過ぎませんし、これ以外の事を二度と書き残す必要も無いと思っています
そもそも私が旦那だった方に愛情があって結婚したとも言い切れません
だからお互い様だと思っています
今となってはこの経験があったからこそ
今日も昨日より大好きだと想う彼と出逢えたんだとしたら感謝しかないです

離婚のゴタゴタの間も生理は相も変わらずでしたが、もう薬を使うのは嫌だったので子どもと同じように食事に気を配り、スポーツをし、身体を冷やさないようにしていました

このシリーズの①でお話した交通事故があった際には離婚も成立しましたが、どんどん酷くなっていた生理にまで対処が出来ず後回しにしていました

やがてリハビリを終え、身体も仕事が出来る状態になり余裕が生まれたので職場の近くの女性医師の婦人科へ通い出しました

そこでは主にピルの服用と貧血の改善
ピルはスプレキュアのようにブチギレる事はなく、一日一回飲み忘れさえしなければいいだけなので続けやすかったです
貧血は鉄錠では改善されなかったので、生理中に一回の鉄分の静脈注射で補っていましたが肝心の生理は酷くなるばかりで、出血する期間も二週間、三週間と長くなっていきました

医師は
ピルやめて治療法を考えよ
鉄分注射は毎週ね
ホルモン数値の検査して、超音波もしとこかな

身体はボロボロでもホルモン数値は良好
その数値が下降線を辿り始めていれば、やがて更年期となり生理が止まる事に希望を抱いていたのですが、私の数値で予測された更年期は五十代後半

うーわ、お先真っ暗やん

それから新しい治療を医師から提案される事も無いままで、何故言わないのか疑問は持っていました
友達と会った際に、彼女が通っている婦人科の話も聞くようになってはいたのですが
どうせ更年期まだやしなぁ
医療に対しても諦めモードで、だけどこれまでの生理とは違うと感じていました

そんな予感を裏付けるように三ヶ月間一日たりとも出血が止まらなくなるという異常でしかない状態になりました

毎週注射に通っていても、最後の月は歩いても立っても座ってもフッと意識が途切れそうになる感覚
トイレで暮らそうかと大真面目に考えるような出血量
確実に命が削られていると感じました

さすがにおかしいにゃけど
そう医師に訴えると

昔の人はもっと大変やったんやで
生理なんか更年期になったら止まるから

あかん

昔の人て、あんた現代医療してんにゃろ?
更年期まだ先やて言うたんあんたやん
私の話聞いてた?今をなんとかしてほしいねん
死んでしまうわ

とは口にはせず、今までお世話になった御礼と転院する旨を告げ、翌日に友達から聞いていた婦人科へと向かいました

すがる様な目をした私の様子に医師は

これはまた大変な経歴やったんやなぁ
ずっとしんどかったやろ?
いまから内診して楽になれるようにしたげるからな

その言葉にどれだけ救われたか
たった数分で理解してくれた
来て良かったと思いました😊

医師は内診台で超音波のモニターを見ながら、思ったより状態が良くない事と冒頭の言葉を言いました

ところで、前の病院で腫瘍があるのは聞いてる?

驚きますよ、そりゃ
数々の出来事で耐性はあると自負していましたが
この言葉をどう捉えていいのか分からなくて

前の婦人科でも超音波は何回もやっていたし、あの医師には見えなかったのかもしれないし私には分かりませんが
子宮の右側に小さくはない腫瘍がありました

その医師の経験と私の自覚症状や腫瘍の形、血液検査の結果と照らし合わせるとハッキリとは断言出来ないけど恐らく良性ではないだろうと

子宮を摘出する事、いまからすぐにたくさんの検査がある事、それから子ども達と話し合いをしなきゃいけない事を聞きました

子ども達は
「どぉせまた元気になるつもりなんやろ?」
と笑っていました

1ヶ月後に手術をし、術後二日で退院するくらい気分は晴れ晴れでした

そして摘出した腫瘍の病理検査の結果は癌

そかそか、わかったー
と、生理から解放された喜びに浸っていたので癌なんてどうでも良くなっていました

一応、積極的な治療はしました
でも別の箇所からの出血でまた腫瘍が見つかり
珍しく真剣に考えて出した答えは

私には向いてない

それも手術は受けましたが、出血を止める為だけの感覚です

だってな、やっとナプキンとさよならしたのに
また使うとか嫌やってんもん😗

その時も手術から二日後に退院しています
経過も体調も良かったので、交通事故による長期入院の経験から自宅で休養する方が精神上私には良かったし、やる事はやったから長居する必要が無いと思いました
もちろん、医師の許可を得てですよ?

いろいろな選択肢がある事も、人によってたくさんの考え方がある事も存じています

今は何もしないという選択をしていても、今後どうしていくのかは分かりません
医学を信じていないでも諦めたでもなく、自然と成り行きに任せる

好きな事をして、身体が欲する物を作って食べて、余計な事は考えずに、毎秒今を楽しくする

定期的に検査はしていますが、お陰さまで現在も数値は下がり続けています

妊娠しにくいと言われながらも三人の子どもを出産できた

いつも笑って接してくれる友達

どんな私も受け入れて優しく背中を押してくれる
愛してやまない大好きで大好きな彼

これ以上に幸せな事があるのでしょうか

私は今日も元気です😊







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