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幸せのスプーン

お久しぶりです。
浅川隼人です。

今回はある記事を読み僕が思ったことを書きたいと思う。

その記事がこちら。

https://blog.tinect.jp/?p=66527&fbclid=IwAR09RMJLn7FUItCI-bUo19ntbrrBQArhO96WAtq9oRd9ORvyV1pStqLzwjo

僕がなぜ毎日幸せでいられるのか。
題名の幸せのスプーンとは何か。

このnoteを読み終わり、何か感じてくれる方がいれば僕は嬉しく思う。

では、最後までお楽しみください。

僕は今毎日が幸せに溢れている。
でもそうでもない時期もあった。

それが多かったのは大学の頃まで。

それはなぜか。

多分心のどこかで他人と比べ、人の目を気にして過ごしていたからだと思う。

夢や希望はあるけれど、なぜそうなりたいのかがなかった。

そして、何よりネガティブな思考でもあった。

では少し大学の頃の話をしよう。

僕は八千代高校から、高校からはなれなかったプロサッカー選手になる為に、桐蔭横浜大学へ進学する。

大学の1年生からバリバリ活躍して4年時にはJリーグの複数チームからオファーがあり、Jリーグに加入する。

そんなプランを持っていた。

現実はプラン通りには行かず、大学2年までBチーム。
3年でようやくトップチームに入るものの、目に見えた結果は出せなかった。

そして、最後の年。
キャプテンに任命され、今年こそはと意気込むが、スタメンで出ることはほぼなく、1年生に出番を奪われ、ベンチで試合が終わることもしばしば。

こんなごくごく平凡な選手がなぜ今プロサッカー選手になれているのか。

毎日幸せに歩めているのか。

これを紐解いていきながら幸せのスプーンとは何か。
これをお話ししていこうと思う。

前置きが長くなったので、早速本題に入ろう。

夢が明確化された大学3年

僕の夢が明確になったのは大学3年の頃。
先輩が進路を話す4送会。

僕は当時プロサッカー選手にならないとサッカーを続けられないものだと思っていた。

でも社会人でいわゆる安定をしながらサッカーができる環境があることを知った。

僕にとって衝撃的な出来事だった。

プロ選手になると当たるセカンドキャリア問題が必要ない。(僕はセカンドキャリアという言葉が嫌いだが、あえてわかりやすく表現してる。)

そして、大怪我をしてもクビにならない。

これはきっとサッカー選手を目指す子供達、また育てる親御さんも聞いたことがあるであろうプロへの不安材料だ。

それがなくてもサッカーを続けられる。

僕は一瞬踊らされた。

それと同時になぜプロサッカー選手を目指しているのかが分からなくなった。

そして考えた。
なぜプロサッカー選手になりたかったのか。

2002年のキリンチャレンジカップ。
vs.ホンジュラス

忘れもしない中村俊輔選手のコーナーから直接ゴール。

あの瞬間僕は夢を追いかけた。

そうだ。
あの時はこんなゴールを決めたい。
こんなスタジアムでプレーをしたい。

そして、僕が選手として子供たちに夢を与えるんだ。

そう思っていたのだと気がついた。
そこからプロサッカー選手ではなく『子供達に夢や希望を与えたい』という夢になった。

※今は『夢を追い続けられる環境を作る』ことに変わった。それはまたお話ししようと思う。

だからこそ最低でもJリーガーになる必要がある。
プロサッカー選手は目標に切り替わった。

そう。

夢が僕の毎日を突き動かしてきた。
そして、今後も夢実現に向けて毎日を過ごす。
夢こそが僕の生きる原動力である。

ただ、夢なんて語ってないで現実を見ろ。
そう言うドリームキラーも少なくないだろう。

僕もたくさん言われてきた。

『お前じゃプロになれない』
『下手くそ』
『周りがいないと何もできない』

でも絶対に夢を叶えたいと思ってからはその言葉でさえ気にならなくなった。

そして、ポジティブシンキング。
自分なりの幸せの見つけ方が上手くなった。

ポジティブシンキング

以前はシュートを外したら1試合引きずっていた。

だからこそ、調子の波がひどく固め打ちの選手とまで言われた。

周りから言われたことに関してもそうなのかなと思ったり、人の目を気にしていた。

そこに変化があったのは大学4年の頃。
夢を持ってから1年。

何がなんでもという気持ちが強かったがそれと同時にキャプテンに任命され、チームのことも考えなくてはいけなかった。

特にシーズン始まってから5.6試合勝てない試合が続き、僕がキャプテンだから勝てないんだと思うようになってきた。

そんな中彼女の誕生日があり、お祝いをすると。

『なんで勝ってないのにお祝いなんてできるのか』

そんな声が聞こえてきた。

最初は本当に悩んだ。
年に一回の誕生日。
チームは勝ててないとはいえ、お祝いもしてはいけないのだろうかと。

ただそこで悩んだ末に出たものが。

なぜ祝ってはいけないのか。
サッカーは確かに勝ててなくて責任は感じるけど、それとこれは別だろ。

もしかしたらこれを言っているのは、彼女がいない人かもしれないし、トップチームにいない人かもしれない。

またキャプテンになりたかった人かもしれない。

誰かわからないけれど、それを言った人はきっと妬んでたり、僻んだり羨んだりしてるに違いないと。

それを言われるってことは幸せ者なんだなと思った。

そう思った瞬間。
何か心のスイッチが切り替わった。

今いる位置が幸せに感じ、当たり前に感謝できるようになった。

今あるもの、できているものに意識を向けれるようになり、ポジティブな思考の転換をすることが上手くなった。

それからは、シュートを外してもシュートまでの過程で出来たことを自分の中で見つけられ、『外した』という結果にフォーカスを当てるのではなく、『出来た』過程にフォーカスを当てられるようになった。

その小さな『出来た』の積み重ねが大きな結果を生むことになった。

ピッチ以外にも、キャプテンとしては、出てても出てなくてもチームの結果の為に動けることが増えてきたり、1日の中で起きたことで良かったことに目を向けられるようになってきた。

ここからはポジティブに物事を捉えられ、毎日が幸せでありふれた。

ただ、まだこれがなぜなのかということに辿り着けてはいなかった。

セブ島での経験

Y.S.C.C.に入って2年目の夏。
僕はセブ島で『ボランティアサッカー教室』を行う為にクラウドファンディングを立ち上げ、沢山の方に支えられながらセブ島へ行くことになった。

セブ島ではボランティアサッカー教室の他、大運動会を行ったり、スモーキーマウンテン、スラム街や歴史博物館を訪れた。
そして、沢山の子供たちに出会った。

ボールを渡せばキラキラする子供たち。
目の奥から笑いながら話しかけてくれる子供たち。
どの子供たちも毎日を必死に、そして楽しんで過ごしていた。

なぜこんなにもセブ島の子供たちは毎日が楽しそうで、目の奥から笑っているのだろう。
僕は不思議に感じた。

そして、最終日。
飛行場まで帰るタクシーでその理由が明らかになった。
タクシーの運転手は、身近に日本人がいるので、日本人の仕事ぶりや行動を見て、とても尊敬していた。
しかし、彼はなぜか幸せそうに見えないと言った。
その答えを聞くと彼はこう答えた。

『日本人は生活と仕事が分かれてないと思う。生活をする為に働き、仕事をする目的がお金を稼ぐことになってる気がするんだ』
『僕の場合は自分の生活が1番だから、疲れたら帰るし、仕事も生きがいの一つであって中心ではない。だから生活と仕事はまた別さ。』

この言葉を聞いて僕は納得した。
なぜセブ島の人たちが会う人会う人明るくて、キラキラしているのか。
僕がポジティブシンキングになり、なぜ毎日が幸せでありふれたのか。
ここに答えがあった。

それは
生きがいを見つけ、一人一人が自分だけの幸せを自分の物差しで測ること。

この物差しを僕は『幸せのスプーン』と呼ぶ。
この幸せのスプーンが一杯になると心が満たされる。

ただ、このスプーンが大きすぎるとなかなか一杯にならない。

日本人は当たり前の基準が高くなりすぎて、このスプーンが大きく、どれだけ幸せなのか感じれていないことが多い気がする。

セブの子供たちは友達と会ったら今日一日ハッピーだと言わんばかりに幸せを感じていた。

僕は当たり前の反対は感謝だと思っている。

自分の人生は自分でしか歩めない。
その最高の人生なのに他の人のことを気にして、身動きが取れない。
できないことは今できないし、持ってないものは今持ってない。

人と比べ自分を卑下する。
そんな人生もったいない。

自分なりの幸せのスプーンを見つけ、小さくてもいいから当たり前に気づく。
そして、どれだけそれが幸せなのかを感じる。

そうやって幸せのスプーンを一杯にすることが毎日幸せに過ごせる秘訣なのではないかと僕は思う。

最後まで読んでくださりありがとうございます。
皆さんの一日が、今後の人生が豊かなものになるように僕は願っています。

共に最高の人生を送りましょう!
ではまた!

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