初の海外で財布を盗まれた(Vol.1)
海外で渡航者が最も恐れているもの。
多くの人にとって、それは「スリ」だろう。
初めての海外、初めての長期留学で、自分がスリに遭うなんて、茨城の実家で鼻歌を歌いながら留学の荷造りをしていた二か月前の私は想像もしていなかった。
ということで今回は、デンマークで財布を盗まれて私が実際に体験した地獄について書こうと思う。Vol.1では、盗難に遭った当日について話していきたい。
自分の記憶が薄れないうちに記録として書き留めるだけではなく、これから海外に渡航する人はどうか私を反面教師にしてほしい。
盗難当日
翌日から友達と二泊三日のオランダ旅をする予定だったため、この日はお昼12時頃からNørreport駅近くのカフェでその友達と一緒に旅行の計画を立てていた。一ヶ月前から計画していたことだったので、それはもう楽しみで一週間前からルンルンしていた。国立美術館やアンネの家、最終日はハーグまで遠出して「真珠の耳飾りの少女」を見に行くことにしていた。おいしいと有名なアップルパイも食べる予定だった。
友達とカフェの前で別れ、時計を見ると夕方4時すぎ。
今思えば、そのまま友達と一緒にメトロで帰宅し、オランダ旅行のパッキングをすればよかったと後悔しているのだが、この後起こる悲劇を知る由もない当時の私は、なぜかストロイエ通りをひとりでウィンドウショッピングしてから帰ることにしてしまった。
Nørreport駅前からてくてく歩き、15分ほどで大型デパートのILLUMに到着。トイレを借りた後、イヤフォンでK-popを聞きながら、Kongens Nytorv駅近くのデパートMagasinまでやってきた。
ここでH&Mが目に入り、なんとなくノコノコと立ち寄ってしまったのが悪夢のはじまりだったに違いない。店の2階で商品を物色し、鏡の前でアウターを試着。うーんやっぱり違うか、と商品を元の場所に戻し店を出る。
ここでようやく「よし、帰って明日のパッキングしよう」と思い、メトロに乗るために財布を取り出そうとしたその時。
「ん?なんかカバン軽いな」
と思った瞬間、自分のカバンに異変が起きたことに気づいた。
「財布がない」
カバンの中を探せど探せど、ほんの10分前にILLUMを出る時にはあったはずの財布がない。
私はこの時全身の血の気が引いていくのを感じていた。
なぜなら、バカな私は日本から持ってきたクレジット、デビットカード、在留カード、デンマークの健康保険証など、その財布の中にすべてを入れていたのだ。
財布を探す果てしなき旅
大急ぎでH&Mの店内に引き返す。試着した鏡の前、自分が通った通路の床、どこを探してもない。近くにいた店員さんや買い物客に聞いて回っても、口を揃えて財布は見ていないと言う。財布が見つかったら連絡してもらうよう、自分の携帯番号とメールアドレスを紙に書いて渡し、大急ぎでILLUMに向かった。
ILLUMで立ち寄った場所や床を探してもやはり見つからず、インフォメーションに訊いても財布の落とし物はないらしい。ここにも自分の連絡先を残し、私はもう一度Nørreport駅からKongens Nytorv駅まで自分が通った道を探しに行った。
日本で財布をなくすのと海外で財布をなくすのでは訳が違う。財布を落としてもほぼ確実に手元に帰ってくる日本とは違い、海外で財布をなくしたら手元に戻ってくる望みはかなり薄い。
生まれて初めて財布をなくし、しかも海外で紛失してしまったという現実にパニックに陥ったが、とりあえず人は落とし物を拾ったら交番に届けるという当たり前のことをようやく思い出した私は交番を探した。
途中で私が声を掛けたお兄さんからCentral Stationの中に交番があるという情報を得たため、20分かけて駅に向かった。
しかし、衝撃的なことに受付時間は平日夜7時、土日夕方5時までということで、交番内は真っ暗。人気も無い。24時間年中無休の日本の交番しか知らない私はカウンターパンチを食らった。これは、日本の警察が働き過ぎなのか、はたまたデンマークの警察が働かなさすぎるのか。
これでは、誰かが私の財布を警察に届けていたとしてもすぐには持ち主の私は受け取れないし、警察に状況を説明して次に私はなにをすべきなのか教えてもらうこともできない。
もはや誰に頼れば良いのか分からず、誰もいない交番の前でただただ絶望していた。
デンマークの緊急電話番号114に電話し助けを求めても、「警察署は明日の朝10時から窓口が開くから、明日警察署に行って訊いてくれ。」と相手にもしてくれず電話を切られた。ブチ切れてる寸前で耐えた自分を褒めてやりたい。
仕方が無いので再びストロイエ通りに戻ることにしたとき、たまたま黒人の二人組が目に入った。
彼らはLOUIS VUITTONの長財布を手に持ち、笑みを浮かべてハイタッチをしながら財布からお札を取り出している。それを見た私は、瞬時に「きっと彼らはスリのプロで、私もだれかに財布を盗まれた」という考えが頭をよぎった。
私は怖くなってその場から急いで立ち去り、走ってストロイエ通りに向かったのだった。
ストロイエ通りを何往復したのかもはや覚えていないが、西日が指し大勢の人々で賑わっていたストロイエ通りが、シャッターが閉まり酔っ払いとホームレスだけの暗い通りと化していた。
時計を見ると時刻は夜10時。この時はっと、自分が6時間もひとりで財布を探して歩き回っていたことに気がついた。
携帯の充電は残り20%。さらに、一ヶ月5GBのSimをつかっていたため、モバイルデータを節約しようと屋外でLINEや電話で誰かに相談することも満足にできなかった。しかも、この時期はちょうど秋休みで、多くの友達は旅行に行っているためコペンハーゲンにはいない。誰かに相談したくても、誰も助けてはくれない。
なんとか明日一緒にオランダに行く予定だった友達に連絡して、彼女の寮で充電器とWifiを借りられることになった。
ホームレスとの出会い
こんな絶望的な状況の中、優しくしてくれる人もたくさんいた。
財布をなくしたらどうするべきか、どこに行くべきか何も知らなかった私は、デパートの店員や警備員、犬を散歩中のおじさん、タクシーのおっちゃんなど、手当り次第に声を掛けた。そして、みんな私の悲惨な状況を心配し、近くの警察署までの道順を調べてくれる人もいた。
特に記憶に残っているのは、友達の寮に向かう道中で出会ったホームレスだ。
お金を恵んでくれと私に向かって紙コップを差し出してきたので、「財布を盗まれたからお金なんかない」とやや半ギレで答えると、彼は心配そうに「何があったんだ」と声を掛けてくれた。
途中で判明したことだったが、彼はイタリアからの移民で、英語はほぼ話せないらしかった。それでも、彼は自分が座っていた段ボールに私を座らせてくれ、私の話を真剣に耳を傾けてくれた。
気温は10度ほどしかなく、セーター一枚で6時間も寒空の下財布を捜し回っていた私が凍えていることに気づき、彼は自身のブランケットを私の肩に掛けてくれた。
彼自身も十分なお金があるわけではない、きっと私以上にお金に困っているはずなのに、私のためにカプチーノを買いに行こうとまでしてくれた。さすがの私も必死に断ったが、久しぶりに人の優しさに触れ私は泣いた。最後に彼とハグをしたときのぬくもりはきっと忘れられないだろう。
家族への連絡
友達の家に到着したのは夜11時すぎ。
携帯を充電しながら、彼女と夕方別れた後何があったのか説明すると、「日本の家族に電話したほうがいい」と彼女が言った。
実は、財布がなくなったと発覚してすぐにクレジットカードをブロックしようとしたのだが、ほとんどのカード会社がコレクトコール(ホテルのフロントなどで固定電話を借り、交換手を介して、日本の連絡したい番号に電話をかけてもらうシステム)でしか海外からは連絡をとれないため、夜11時時点ではまだすべてのカードをブロックできていなかった。
そのため、日本の家族からカード会社に電話して、カードの利用を止めてもらわなければならなかったのだ。
日本は日曜朝6時で、家族はまだ眠っている。特に、母は看護師として介護施設では働き、コロナのせいで日々くたくたになるまで対応に追われていることを私は痛いほど分かっていたので、母をこんな電話で起こしたくなかった。
今電話して財布をなくしたと言ったら母はどんなに驚き、私はどれほど怒られるだろう。
恐る恐る母の携帯に電話をかけると、3コール目くらいで電話がつながった。普段LINEの返信も遅く、電話なんてほぼよこさなかった娘から急に早朝に電話がかかってきたからびっくりしたのか、母の第一声は不安と驚きが混ざった声で放たれた「なにがあったの」だった。
私は泣きたい気持ちを必死に押さえ、財布が無くなったこと、それはスリかもしれないこと、長い時間探したが未だに見つかっていないこと、そしてまだ止められていないカードがあることを説明した。
母は緊急事態であることをすぐに察知してくれたらしい。母は父を起こし、二人で手分けしてカード会社に電話してくれた。その10分後に、母から、利用停止手続きが完了したと電話があった。しかし、カードの再発行は契約者本人、つまり私本人がカード会社に電話をして手続きをしなければいけないらしい。
そして、現金もカードもない状態でこの先デンマークでどのように生活するのか母と父に尋ねられ、我に返った。私は全財産をあの財布の中に入れていたので、自分の寮に帰っても代わりのカードも現金もない。
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という最悪の展開を想像した私だったが、心優しい私の友達は500DKK(日本円で約1万円)を私に貸してくれ、返すのは状況が落ち着いてからでいいと言ってくれた。私は彼女に一生頭が上がらない。
結局、オランダ行きの飛行機のチケットと事前購入していたミュージアムの入場券はキャンセルできないため、友達だけひとりでオランダ旅行に行ってもらうことにした。
旅行目前の幸せな気持ちから急転直下。翌日から私はさらなる地獄を味わうことになるのだった。
(Vol.2につづく)
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