見出し画像

たしかなここは夢でなく

いつからか近所にいたはずのカタツムリを見かけなくなった。いなくなった。
雨になれば、控えめな振る舞いを堂々と披露してくれた。
視線を変えるたびに彼方此方と目に映りこんだ。お世辞にも美しい色合いではないけれど、雨の風物詩でもあった。
年々に数を減らしていたことは、はっきりと気がついていた。
それでもいくらかは茶殻の彼らを見つけられた。それがいつからか本当にいなくなってしまった。どれだけ丁寧に目を凝らし探しても見えない。
彼らのお披露目に最適な雨朝、ここニ年くらい同じように繰り返し探すのだけど、やっぱりいない。
そうか、去年の猛暑といい、暖冬といい、おかしな地球の変わりよりにカタツムリはもう生きていけなくなってしまったのだろう。
そう思いつつあった。
人間のように暑ければ涼み、寒ければ温まることなんて出来ない。

今朝もバス停までの道すがら、雨に濡れた塀やらを何気に眺めていた。やっぱりいない。もうあまり何も感じない。

ん?
ふと、見下ろすと、側溝の岩の空洞にあの懐かしい殻が引っ付いていた。たしかに生きている。
ああ久しぶり、思わず頬が緩む。
濡れた地面にカバンを置いて、しばし見つめていた。
すぐに時間に追いつかれて、また会おう、そう別れを告げた。
うれしい朝だった。

そういえば父親はカタツムリが心底に大好きだった。理由は聞かなかった。
書斎には誰にも読まれず、当時の姿を保ち続けて、関する本たちは静かに眠っている。
大雨になれば必ず、傘もささずにカタツムリを探しに行っていた。
そして全身をずぶ濡れにして帰ってきていた。
その都度に持ち帰っては母親と口論していたことを思い出した。
何度か誘われたけれど、一度も行かなかった。

「カタツムリいたよ」
心にそうつぶやいてバスは予定通りに駅へ向かってゆっくりと走り出した。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?