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思い出のガレ

ガラスが好きだ

好きに理由はないからかくかくしかじかだから好き、というハナシはない



さて、

ステキな企画をご紹介いただいた

なんと!
『華道』もどうぞ、と書いてある

嬉しすぎてはしゃいで参加することにした



2011年3月、大きな展覧会が控えていた

けれどその展覧会は東日本大震災で中止になった

わたしはそのとき、エミール・ガレにいけることが決まっていた

地元が、家族や友人が被災してわたしは花をいけられなくなっていたから中止を素直に受け入れることができた

ガラスが好きで、一番好きなのはエミール・ガレで人生でガレにいけることができるのはこれが最初で最後のチャンスだったけれど仕方ないことだった


けれど、もう一度、その機会が与えられた

ピンク色に染めた竹ひごのトンネル

その展覧会場はこんなピンク色のトンネルを抜けた先にあった


コレにいけた

いけばなはぶっつけ本番、がほとんどだ

このときも、小さな小さな器の写真とサイズを知らされただけ、だから植物は当日の朝、器はいける瞬間、初めましてのご対面だった

下からも光を当てる

しかも、相手がガラスだというのに上からも下からも光を当てる展示だと知らされていた

つまり、ガラスの中が透けて見える

ガラスの中をごちゃごちゃにしてガラスの魅力を消してはいけない、潰してはいけない

とんでもなくハードルが高いことになった


耳と名付けていた

しかも、渡された小さな小さな写真を見ると、器の口の両サイドが尖っている

「なんだ?この耳は」と悩むことになった


サインもカッチョええ

花をいけるとき、器を使うのは当たり前で、それは水を入れるだけが目的じゃない

器との一体感が必要、器を作った作者の作意により添っていけることが大事だ

だからこだわって作ったであろう器の口を植物でふさいではいけない

ますます高くなるハードル


凛とした佇まい

ここを一番の見せ場にした

ガレの花器はすごい迫力だった
もう1作、ガレの器があった
これも上下からライティングしてる

この展覧会は

大好きな大好きな憧れのエミール・ガレにいける
大好きな大好きな敬愛する家元への感謝
生まれ育った故郷で起きた東日本大震災への想い

想いを詰めた作品だった


宮古市
親友がここで働いていた
壊れた看板のところまで津波が来たのだ

震災後、地元岩手に帰ったとき、がれきの中から咲いていた花があった

それを想い、枯れた植物に家元が好きなグロリオサをあわせた


【わたしのはな】
↑ 文化祭参加作品にしますデス ↑

いけばなって、想いを植物に託して表現するということだ

感謝だったり、喜びだったり、鎮魂だったり、ありとあらゆる想いを表現することができる


そんな、想い出の エミール・ガレにいけたはなし



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