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たぶん、毎日やりきってるんだと思う

前回の記事にたくさんのご心配のコメント、本当に本当にありがとうございました

ワタスって案外人気者じゃぁ~ん、などとご心配をかけたのに不届きなことを思っちゃったりしております

ご心配ありがとうございました


いけばなサブスク、行ってきました

事故は土曜日の朝だったので、丸3日ほど経ちました
ほぼほぼ大丈夫であろうと思っております


とはいえ、万が一のことを思い、実家の母には日曜日に連絡してました

好き勝手やってたムスメが突然ポックリ逝っちゃって、死因が分からなければ、気持ち悪かろうと思いまして、、、

ガッツリ

あなた、もう若くないのよ、いい加減にしなさい

と、お小言を頂戴した次第デス


勤めてる人は全員これをぶら下げてるのか、というくらい大勢の方がぶら下げてる名札ホルダーですが、わたしは下げていません

ときどき、

「あら、秋峰さんも掛けてないのね、やっぱり肩が凝っちゃうものね」と、お声を掛けてくださる、ド・デリケートな方がいらっしゃいますが、理由は全然違います

あちこちに引っかけて、おえー となるから

これを言うと100%嫌な顔をされます

とても落ち着きがなくそそっかしいのですが、コレを機会に少しは落ち着いて日々を過ごすよう心がけたいと思っております


今週金曜日当たりが満開だろうな
花材:桜、利休梅

さて、椅子から真っ逆さまに後ろにひっくり返っちゃって、仰向けに倒れていたワケなのですが、倒れたまま

「あ~、このまま死ぬのかぁ」と呑気

「ナルホド、独り暮らしってこうやって事故死するわけね、ふむふむ」とか能天気なことを思いまして、、、

で、挙句
「ワタスらしい、そそっかしい死に方だナ、オモロイな~」


ずっと、生きるということに対して、執着が薄いんじゃないのか、とか思っていたのですが、いやいやとかなんとか言っちゃって、本当に死ぬってなったら、急に命根性汚くなって「死にたくなぁぁああ~~~いっっ!」ってなるんじゃないのか、とか考えたりしてたんだけど、実にアッサリしてたなぁと思うのデス


で、なんでそうなのか分析してみました(え?いらない?)

まず、この土曜日の朝という状態で朝ご飯をきちんといただき、洗い物はすべてすませ、きちんと台所が片付いていた

部屋も工房もきっちり掃除してきれいだった

洗濯も終わってあとは干すだけだった

つまり、暮らしがきれいだった

以前に何回か『ワタスはいつでも死ぬ気まんまん』と書きましたが、正にそれを実行していたのでした

なので、見つかったときに「汚ったねぇなぁ」と思われずに済む~♥って思っちゃったんですね

それに、これも『死ぬ気まんまん』で書いたとおり、仕事は抱え込まず周りに分かるようにしていて、「アイツ死んでなにがなんだかワカラナイ」と死んでもなお、陰口を叩かれないようにしているので、お仕事(アルバイト)も安泰

そして1番はいけばな稽古でお弟子さん達にしっかり丁寧に指導していた、という実感があったのです

いけばな稽古って、山のように、いえ一生かかってもお伝えできないくらい大量に教えることってあるんだけど、1回目の稽古では1回目、10回目では10回目、というように1段1段階段を登るようなもので、その時々に必要なことはシッカリお伝えした、という自負があるのです

だから、「あーすればよかった」「こーしておけばよかった」がなかった

満開が楽しみ^^

あ、そして最後にもうひとつ
わたしは人間関係で、こりゃマズイ言い過ぎた、とか、そういうつもりじゃなかったんだけど傷つけちゃった、というときに、ヘンに意地を張らず即座に謝るようにしています
やっぱりこれも『常に死ぬ気まんまん』だから

相手が「許さない!」と思おうがどう思おうが『わたしが気持ち悪く死にたくない』なのです



と、いうことで、毎日きっちりやってればあんまり後悔ってないんじゃないのかなぁ、というお話でした^^

おわり


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