『世界の終わり』

『世界の終わり』 (2020.11.11)

「世界が終わります。あと一時間で世界が終わります。」
気持ち良く晴れた日曜日、朝7時のニュース番組で青いネクタイを締めた男性アナウンサーがスタッフから手渡された原稿を持って、唐突に話しだした。
最初は冗談か何かだと思ったが、アナウンサーは真剣な表情で話し続ける。
どうやら地球の近くを通過するはずだった彗星が原因は不明だが砕けてしまい、大量の隕石が地球に衝突する。天文台も直前まで発見できなかったため、対応策を話し合う時間もなく、全世界に向けて公表する事になったらしい。
余りに現実味のない話で信じる事ができなかったが、どのテレビ局でも報道している。
パニック状態でアナウンサーが泣き叫び、スタッフが立ち尽くしている放送事故のような局ばかりだったので、最初の局に再びチャンネルを合わせた。
青いネクタイを締めた男性アナウンサーが諭すように話し始めた。
「繰り返します。世界が終わります。あと一時間で世界が終わります。隕石の衝突を回避する方法はありません。隕石が大量に地球に衝突します。地球そのものを破壊します。地下シェルターなどに避難しても無駄です。地球が完全に破壊されます。生き残る可能性はありません。」
アナウンサーは涙を流しなら続ける。
「あと一時間で世界が終わります。世界が終わる瞬間をどう過ごすのか、考える時間も私たちにはありません。」
「今あなたの目の前にいる人が、世界が終わる瞬間に一緒に過ごす事になる人になります。あなたがこれから食べる食事が最後の晩餐になります。」
画面左上に表示されている時間は変わっていないが、とても長く感じられる沈黙が続いた。
「私は世界が終わる瞬間をアナウンサーとして、このスタジオで迎えようと思います。」
「テレビの前の皆さんには世界が終わる瞬間までの僅かな時間ですが、いつもと変わらない穏やかな日曜の朝を過ごしてもらいたいと思います。予定していた今朝のニュースを伝えていこうと思います。」
アナウンサーは今朝のニュースを読み始めた。
国会での首相答弁、新型コロナウイルスの感染者数、大根農家が教える絶品大根ステーキの作り方、昨日のプロ野球の結果など……しかしニュースに合わせてVTRに切り替わる事もなく、誰もいなくなったスタジオに、青いネクタイを締めた男性アナウンサーの声だけが力強く響いていた。

僕は部屋の窓から外を見ている。
穏やかな日曜の朝にぴったりな、雲一つない青空が広がっている。
ニュースを聞く暇がなかったのか、日曜の朝なのに駅へ向かうサラリーマンの姿も見えた。
携帯を見ると電話やメールの着信通知に溢れている。SNSのタイムラインには世界の終わりについて、休む事なく投稿がされている。
離れて暮らす両親から何回も着信が入っていたので、折り返しかけてみたが「現在大変回線が混み合っています。しばらくたってからおかけ下さい」のアナウンスが続き、繋がる気配がなかったので電話する事を諦め、最後の晩餐になる朝食を食べる事にした。

先月に10年間使っていた炊飯器が壊れてから、フライパンでご飯を炊くようになった。
ネットで炊き方を検索して試しに炊いてみたら、思った以上に簡単にできたので、新しい炊飯器を買わずに、フライパンでご飯を炊き続けている。
ネットでは始めは強火で1分と書いてあったが、2分の方が丁度良い。次は弱火で5分と書いてあったが6分の方が丁度良い。最後は強火で1分ではなく2分で良い感じで炊きあがるが、少しだけ焦げた部分があった方が美味しいと思ったので、もう1分長く火をかけるとパチパチと音がなる。後は10分間蒸らしたら出来上がり。
三合炊いたので、世界が終わるから食べる事はないかなと思ったけど、そのままにしておくのも何なので、一杯分以外はタッパに移して冷凍庫に保存をした。
冷蔵庫から昨日買ってきた10個入りの卵パックを取り出す。世界が終わるから使い切れないと思ったが、1個だけ取り出して冷蔵庫に戻した。
まずはご飯に醤油を少しかけてから、卵をご飯の上にのせる。少しだけ卵をご飯の熱で温めてからかき混ぜる。これが最後の晩餐なのかと思ったら、ゆっくり噛みしめるように食べようと思ったが、寝起きの空腹には勝てず、一気にかきこむように食べてしまった。
あっという間に食べ終わったので、もう一杯ご飯を食べる事にした。
冷凍庫にしまったばかりなので、まだタッパの中のご飯は温かいままだった。
今度は納豆を食べようと思った。冷蔵庫の中に2パック残っていたので両方とも食べる事にした。納豆を良くかき混ぜ、醤油をかけ、和辛子を加え、また良くかき混ぜてから、ご飯の上にのせる。2パック使ったので、ご飯の上に小山のように納豆が積み上がった。
食べ終わった食器は、世界が終わるから洗わなくても良いと思ったが、納豆の匂いが気になったので洗う事にした。あのテレビの男性アナウンサーではないが、世界が終わるけど、いつもと変わらずに過ごした方が良いと思った。

時計の針は午前7時55分を指している。
世界が終わるまで残り5分。
もう一度だけ彼女に会いたい。世界が終わる瞬間は彼女と過ごしたいと思った。
彼女の家から僕の家まで、5分どころか1時間でも来る事はできない。
彼女の声だけでも聞きたいと思ったが、携帯は繋がらない状態が続いている。
部屋の窓から空を見る。このまま空を一人で眺めて、最後の瞬間を迎えるのかと思っていたら、いきなり部屋の中心が眩しく光り始めた。
光が徐々に弱まると目の前に彼女が立っていた。
何が起きたのか理解できなかったが、彼女も僕に会いたいと思っていたら、急に光に包まれ気がついたら、ここに立っていたと震えるように話した。
世界が終わるから、何か特別な力が発現したのかもしれない。この超常現象は何なのか?
考える時間はもう残されていない。僕は彼女に近づいて、不安そうな彼女の手を握り締めた。
彼女も僕も状況を理解できていなかったが、手を繋いでいたら少しだけ、お互いに穏やかな気持ちになってきた。
部屋の窓から空を見上げる。雲一つない青空、優しい陽射しが僕らを照らしている。
これから世界が終わるとは思えない。
この穏やかな青空を彼女と見ていると、今日は特別に楽しい日曜日が始まるような気がしてきた。

時計の針が8時を指した。
七色の光、いや十七色、もう何色か数えきれない光が、僕らを猛烈に包み込んできた。
熱いのか、冷たいのか、体温さえもかき消すような突風が、僕らに吹き付けてきた。
最後に、今まで聞いた事のないような轟音と爆音が同時に、僕らを襲ってきた。
何が起きているのか理解できない。
誰も生きる事が許されない、どんな生き物も生き残る事が許されない、大地が崩れ去り空と海との区別がつかなくなり、全ての存在を否定するような、徹底的な破壊が始まっている。
その事だけは理解できた。

どれくらい意識を失くしていたのだろうか?
そこには何もない青い暗闇が広がっている。
足元には大地も何もなく、自分の体もなくなり、ただ光を発する意識だけの存在になっているようだ。どこへでも自由に行ける気がしてきた。
何もない空間だと思っていたが、無数の光が見えてきた。
世界が終わった後に、残された魂の光なのかもしれない。
遥か彼方に一つの光が見えた。
何の根拠もないけど、その光が彼女だと思えた。
今すぐ近くに行きたいと思った。
僕はその光に向かう事にした。
なかなか近づく事ができない。
今度はいきなり目の前に彼女が現れるような、超常現象が起きないようだ。
自分の力で近づいていくしかない。
僕は彼女だと思える光に向かって、少しでも早く近づけるように、走ろうと思った。
体はなくなっているが、走っている。確かに走っている。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?