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求められる自分でいいじゃん


「自分のスキル」に依拠する働きかたではなく、「周りが必要とする役割」を担うことができる働きかた。
人月いくら、という誰かが相場を定義した仕事ではなく、「やってみる」ことから価値を生み出す働きかた。
個の時代に消費されない「ドア型人材」という生き方:岡田史興note


1年間休学をして参加していたNPOのインターンで、働くのつまみ食いをした私が一番苦しめられたのは、自分が自分自身を求める存在にすることだった。

つまり、周りが求めていることではなく、求められていないけどやりたいこと、やった方がいいと言えるものを自分で生み出すこと。

「自分の頭で考えて行動してね」

求められることをこなせるのは二人前だと思っていた。

休学をしている前にやっていたアルバイトでも、インターンの採用面接の時も、仕事は降ってくるものではないと言われた。

仕事は創るものなのだと。

たとえ降ってきても、それをこなすだけでは、自分がやる付加価値をつけた状態≒自分にしかできない仕事とは言えないと思っていた。

私は、もらった仕事に自分なりのユーモアをつけて、元の場所に戻すのが好きだ。

戻す先を思い浮かべながら、そこにいる相手に少しでも時間や心のゆとりが生まれるような仕事をしたいといつも思う。

でもそんな自分は、一人前とは言えないと考えていた。

一人前には”できない”と考えていた。

”できない”を決めるのは自分

一人前の定義ってなんだろう。

大辞林 第三版の解説
①ひとり分の分量。ひとり分。 「寿司-」

㋐成人と同じ資格・能力があること。「若いうちから-に働く」
㋑所属する社会で、正規の構成員であると認められること。
③技芸などがその道の人間として通用するほどになっていること。 「 -のコックになる」 〔② ③ には「-なことを言う」のように、形容動詞としての用法もある〕
「いちにんまえ(一人前)」に同じ。
出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

私のイメージで一番近いのが③。
その道、つまり職種や業界で”汎用的”に使いこなせるスキルを持った人が一人前とされる説。

ただ、”汎用的”ってややこしくて、何がどうできていれば”汎用的”なスキルを持ち合わせていると言えるかは曖昧だ。

資格や免許を持っていれば”汎用的”とされる場合もあれば、「コンサルタント経験3年以上」のような経験自体が”汎用的”スキルを持ち合わせている一つの基準とされることもある。

でも一度立ち止まってみたい。
”できない”≠”汎用的じゃない”のか。

資格を持っている人でも、その資格に関する経験を全てしているわけではない。
生まれて初めて出会う場面に遭遇したら、資格があっても解決”できない”状況は起こりうる。

しかし、例えば医師は、今までに症例がない病気に対して、経験がないから治療”できない”と諦めるだろうか。
きっと、その医師は持ち合わせの知識とそこから導ける最も確からしい治療法を考え、何か”やってみる”だろう。

ということは、”できる”よりも”やってみる”ことができるかどうかが、一人前の要素と言えるのではないか。

”できない”から、”汎用的”ではないから、一人前ではない。これは自分が造り上げた幻想だったかもしれない。

一人前に近づく魔法は「全力で」

「めぐを見ていると、子どもっていいなと思うんだよね」

小学校4年生でクラスがバラバラになるとき、男の担任の先生は学級文集にこんなことを書いてくれた。

「私のどんなところを見てそう思ったんですか?」

その先生は今、雲の上から私たちを見守ってくれている。
だから、直接先生の口からこの答えを聞くことはできない。

でも、ちょっと教員の勉強をしてみたから、先生にちょっと近づけた気がして、言いそうなことを想像してみる。

『ふざけたいけどふざけられない。自分の殻を破れない。だから、「全力」で真面目にふざけようとしてみる、論理のない好奇心を持っているところかなあ。』

昔も今も苦手で、破りたいけど破れない、全力で大それたことをしたいけどできない自分。

いつどこでも「全力」でふざけてみようともがく、真面目に抗おうとする自分を受け止めながら、「全力」って私の才能だよって、ちょっとは自分を自分で認められるようになったかもしれない。

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