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毒親とは何か?

はじめに

この記事は、毒親育ちではない(自分の親を毒親だとは思っていない)人に向けて、毒親とはどういうものか、を説明することを主旨とした記事です。
もしかしたら、ご自身の親のことを「毒親かも?」と感じている方に対しても、毒親についての理解を深める手助けになるかもしれません。しかしその場合は、より具体的な内容の(解決に向けた)記事を読む方が役に立つかもしれませんので、悪しからず。
あくまでも意見のひとつ、という前提でお読みください。

まずは、現在進行形で毒親に悩んでいるわけではないにもかかわらず、毒親について理解を深めようとしてくださっている読者の方々、およびその姿勢に感謝いたします。
毒親に育てられた人間の悩みの種として、親の存在と同じくらい、理解を得ることができない他人の存在も大きいです。
毒親育ちである筆者としては、理解をしようと興味を示してもらえるだけでも、当時苦しんでいた、あるいは今も苦しんでいる自分への慰めとなり、大変ありがたいです。
共感できなくても構いません。完全には理解できなくても仕方がないと思います。寄り添ってほしいという贅沢も望みません。ただ、そういう人間が確かに存在する、という事実は尊重しておいてほしいのです。

本題に入ります。


毒親と呼ばれる2つのケース

毒親とは何か?
私が考えるに、まずは大きく2つに分類することができます。

1つ目は、『行為としてはっきりと犯罪が行われている』ケースです。
具体的には、身体的拘束(軟禁など)、ネグレクト(食事を与えないなど)、暴力などを、親が子供に対して行っている場合です。
言い換えれば、犯罪行為が露呈している、誰が見ても犯罪であるとわかるケースです。
このケースに関しては、親が行っている行為は害悪であると一目瞭然でわかるため、本記事では深くは言及しません。
このケースに当てはまる親は、『毒親』というよりは『犯罪者』です。議論の余地もなく、加害者/被害者の立場がはっきりすると思いますし、第3者から見ても理解しやすい関係性ではないでしょうか。

2つ目は、上記に当てはまらないケース、すなわち、『法律違反ではないかもしれないけど……』という場合です。
毒親の存在に悩んでいる人の多くは、この2つ目のケースに当てはまることが圧倒的に多いように思います。
1つ目のケースとは異なり、その行為が犯罪(名誉棄損、脅迫または恐喝、迷惑防止条例違反、犯罪の教唆など)であるかどうかを判断するのが難しく、犯罪とまではいかない場合もあり、証明することはもちろん、他人へ説明し理解を得ることが大変困難です。
本記事では、このようなグレーゾーンにあたる親のことを『毒親』と定義することにし、主にこちらについて解説していきます。

2つ目のケースにおいて、判断や理解が難しい要因の一つとして、個々人における価値観の違いがあります。
すなわち、人によって、『こんなことはつらくて耐えられない』『このくらいなら別に平気』と感じる範囲が大きく異なるということです。
この記事を読んでくれている読者の方々も、後に続く具体例を見て、このくらいは普通ではないか?と感じるかもしれません。詳しくは後述しますが、重要なのは一つ一つの行為自体と言うよりも、『そのような行為を継続的に子供に対して行う親の存在』『自身の親がそういう親であるという事実』です。これらのことが、毒親育ちの人間のことを永続的に苦しめることとなります。

毒親の5つのタイプ

さて、2つ目のケースについて、もう少し細かく分類していきます。
様々な分け方があると思いますが、本記事では毒親を便宜上、下記の5つのタイプに分類します。

①徹底的な管理体制(過干渉)
②行動や思考の制限、強制(支配や洗脳)
③暴言や人格否定(暴力とまではいかない攻撃行為を含む)
④経済的負担を強いる(純粋な貧困を含む)
⑤子供の存在を軽視あるいは無視・放置する

次に、それぞれのタイプについて、どのような行為が該当するのかを具体的に解説していきましょう。

①徹底的な管理体制(過干渉)タイプについて
●把握行為・・・子供の行動や思考、交友関係を全て把握しようと探る
●監視行為・・・子供に関する事項を把握できなくなると取り乱す・怒る
●付与行為・・・理想とする物品(服や参考書など)のみを子供に買い与える
●除外行為・・・子供に相応しくないと思うコンテンツを子供から断絶する

②行動や思考の制限、強制(支配や洗脳)タイプについて
●刷り込み・・・親の意見を繰り返し子供に伝え、常識として覚えさせる
●誘導行為・・・親とは異なる意見を子供が持つと、訂正や誘導を行い親と同じ意見を持つよう仕向ける
●先回り・・・子供に思考や判断の機会を与えないよう先に親が意見を述べる、あるいは子供に無断で子供の予定などを勝手に決定してしまう
●否定行為・・・子供が親にとって望ましくない意見を主張すると、徹底的に否定・拒絶し認めない
●罪悪感の植え付け・・・子供が親にとって望ましくない意見を主張・行動を実施すると、被害者のような態度を取り罪悪感や羞恥心を抱かせる
●辱め行為・・・第3者の前で子供を叱るなどし、辱める
●強要行為・・・1日12時間勉強させる、のように一定の行動を強要する
●不機嫌行為・・・不機嫌になることにより子供に気を遣わせ、その行動をコントロールしようとする
●匂わせ行為・・・そんなことをしたらどうなるかわかっているのか、後悔するぞなどと罪の存在を匂わせて子供の行動をコントロールする

③暴言や人格否定(暴力とまではいかない攻撃行為を含む)タイプについて
●暴言・・・クズ、失敗作、死ね、産まなきゃよかった等の暴言を吐く
●悪口・・・第3者に対して子供の悪口を言う(その様子を子供に聞かせる)
●攻撃行為・・・物を投げる(壊す)、軽くはたくなどの物理的攻撃を行う

④経済的負担を強いる(純粋な貧困を含む)タイプについて
●過少収入・・・賃金などの関係で世帯収入が少なく生活がままならない
●過剰浪費・・・酒、ギャンブルなどにより親が世帯収入のほとんどを浪費するため子供に回すお金がなく生活がままならない
●労働の強要・・・金銭的理由により子供に労働を強要し、給料の一部または全額を回収する
●金銭的搾取・・・経済的に自立している子供に対して仕送りを強制する
●借金の押し付け・・・親が作った借金の支払いを子供に押し付ける

⑤子供の存在を軽視あるいは無視・放置するタイプについて
●無視行為・・・子供の言動に一切あるいはほとんど反応しない
●放置行為・・・家にいる時間あるいは子供と過ごす時間が極端に少なく、子供とコミュニケーションを取ることがほとんどない
●却下行為・・・子供の要望やお願いを内容に関わらず全て却下・無視する
●見て見ぬふり・・・子供が片方の親(自身のパートナー)から被害を受けていることを知っていながら、助けることなく放置する

ざっくりとまとめましたが、上記5つが毒親の主なタイプです。
使用している単語は筆者がわかりやすいよう選択したものなので、一部造語が含まれている可能性があります(例えば『付与行為』『却下行為』などは検索しても本記事で使われているような意味としてはヒットしません)。

毒親に関してざっくりと分類をしてみましたが、実際に毒親に関して、『この人はこのタイプにぴったりと当てはまる!』ということは実はほとんどありません。
『②と③はあるけど⑤はないかな、①と④は一部なら当てはまるかも……』といったふうに、毒親が毒親たり得る要因は複合的なものである場合が多いです。
そして前述した通り、各タイプの行為は一回で完結・終了するものではありません。毎日繰り返される、あるいは週に3回は確実に、もしくは思い出したように不定期に、継続的に、などなど。反復性があり、時には次にいつ起こるかわからないといった恐怖を子供に抱かせることもあります。

毒親に育てられるとどうなるか

さて、ここまでは毒親について、その具体的な行為を解説してきました。
次に、それらの行為が子供に与える影響について説明していきます。

上でも述べた通り、それぞれの子供によって、毒親の行為に対する反応や毒親から受けるダメージの強さは大きく異なります。
毒親に現在進行形で苦しんでいる人でも、例えば、『⑤なら我慢できるけど④なら絶対に無理』といったように、毒親の行為それぞれに対して許容度や耐性が全く違ってきます。
また、例えば①に関して、『それは親の愛情じゃない?』『子供のためを思って、良かれと思ってしてくれたんじゃない?』という意見があった際に、はっきりとした反論が難しいということもあります。④に対して、『親だって頑張って働いているのだから仕方ない』と言われることもありますね。
すなわち、親の行為を一概に害悪であると断言することが難しいことも、人によって受け取り方が異なる要因の1つです。

毒親育ちに共通することは、①~⑤に当てはまる、あるいはそれに近い親の行為によって、身体的・精神的・経済的に被害を受けている、という点のみです。
つまり、『毒親育ち』と一言で言っても、きっちりと正しくカテゴライズする方法は存在せず、また被害の大きさも人それぞれであるということです。

では、毒親によって上記のような行為の中で育てられた場合、子供には例えばどのようなことが起こるのでしょうか?
一例を紹介いたします。

●誰かの意見を聞かないと行動できない・自分で判断できない
●常に人の目や意見を気にして行動し、他人からの評価や反応に過敏になる
●親に教えられたことを信じ込み、それ以外の一切のことに疎い
●他人の機嫌に敏感になり、常に他人の不機嫌に怯え機嫌を取ろうとする
●他人に頼ったり甘えたりすることに恐怖や罪悪感を抱くようになる
●自信を喪失し、自分には何もできないと思い込む
●自分の生きている意味がわからなくなる
●愛が何かわからず、自分を愛する人はいない・現れないと確信する
●気に入らないことがあれば暴言・暴力に訴えていいと考えるようになる
●自分の感情や機嫌をコントロールしたり隠したりすることができない
●経済的に苦しいため、食事行為への抵抗感が芽生える(拒食になる)
●経済的に苦しいため、売春や犯罪行為に身を染める
●経済的に苦しいため、極度の節約や体調を崩すほどの節制を行う
●経済的に苦しいため、金銭を支払うことに対してトラウマが生じる
●行動する前からどうせ無理だと諦めるようになる
●承認欲求が異常に高まり、構ってちゃん行動が過剰になる
●親を殺したいと考えるようになったり、その思いを実行に移したりする
●死にたいと考えるようになったり、その思いを実行に移したりする

……などなど、一例ではありますが、毒親に育てられた場合には上記のような特徴が生じることがあります。
もちろん、これらの特徴の全てが親によるものであるとは限りません。当人の元々の性格や、親以外の環境に起因するところも大きいです。
ただ、毒親によりその行為を受け続けた子供は、上記のような考え方になってしまったり、そのような行動を取ってしまったりする可能性が高まってしまいます。毒親でない親に育てられた場合に比べて、という意味です。

更に、毒親育ちが受ける被害は、上記のような自身の内面に関するものだけではありません。
特に未成年でいる間は、ありとあらゆる人生のイベントに親は必ず登場します。
授業参観、三者面談、部活動入部の際の親の同意、受験の際の親の同意、就職の際の親の同意・保証などなど。これらの節目節目で、子供は親の意見を仰いだり、同意を得たりする必要が生じます。
あるいは成人してからも、転職や転居を親に管理されることがあります。また、結婚する際には両家顔合わせや結婚式がありますよね。親が病気になったり、介護の必要が生じた場合も、親と関わらざるを得ません。
それらのイベントの度に、毒親による行為が再発し、繰り返されるわけです。仮に家を出たり、距離を置くよう努めていたとしても、避けられないイベントして親の存在は子供を縛り続けます。

少し話が変わりますが、例えば会社でパワハラ行為を受けることがあったとします。つらく、苦しく、何もかもが嫌になるかもしれません。
こういった場合には、どのような対処法があるでしょうか。
信頼できる上司に相談する、パワハラをしてくる人間と関わらなくて済むよう部署を変えてもらう、転職する、法的手段をとる(訴える)、などでしょうか。
いくつかの対処法が思い浮かびましたが、ではこれが、会社で受けるパワハラではなく、毒親から受ける被害だったとしたらどうでしょう。
親を親でなくすることはできませんし、自分がその親の子供でなくなることもできません。住民票や戸籍を親から隠すことはできても、日本では親と法的に縁を切る(つまり今後一切関わることのない他人になる)ことはできません。
役所や警察に相談したとしても、子供が被害者として認められるケースはまだまだ少なく、逆にもっと親を大切にしなさいとお説教されることもままあります。

つまり、毒親育ちにとって毒親とは、絶対的で決定的な様々なダメージを、事あるごとに、一生自分に与え続ける逃げられない存在なのです。

ある日突然、親が「働くのが嫌になった。死ぬまでずっとニートになる。体調が悪いような気がする、働けないのは仕方がない。でも貯金はない。病院に行くのは怖いから嫌だ。お金もないし。でも死ぬのも嫌だ。面倒見て。養って。これから先、死ぬまでずっと」と言ってきたらどうしますか?
日本では、子供は親に対して扶養義務があります。
つまり、『子供がいる』という事実を持つ人間は、『じゃあ子供に助けてもらってね』と判断されるのが日本の法律ということです。子供の収入が当てにできる限りは、生活保護など国の扶助を受けることもできません(例外はあります)。
もちろんお金や気持ちに余裕があれば、一生親のありとあらゆる面倒を見て過ごすのもよいかもしれません。しかし自身に余裕がなく、あるいは親との関係性が悪ければ、どうして自分が?と感じてしまうこともあるかもしれません。
仮に、支援は難しいと拒絶したとします。すると親から、「お前が支援してくれないせいでどんどん体調が悪くなってきている」と何度も連絡がくるようになったとします。毎日体調が悪化していく様子を報告され、日に日に具合が悪くなっていく様子を写真付きで報告されたとしましょう。
これを更に放置すると、どうなるでしょうか?
ご存じの方もいると思いますが、具合が悪く、死に向かっていっている人間に対して、その状況を知っていながらも助けることなく放置するのは、遺棄罪という犯罪にあたります。
おや、おかしいですね。
毒親という加害者に痛めつけられていたはずの自分が、一転して罪を犯した加害者になってしまうというわけです。

このように、親子という関係を物理的、経済的、法的に切り離すことは現代日本では不可能となっています。
自身が生まれ落ちたその瞬間から、死ぬまでの間ずっと、その関係は続くのです。
死ぬまで、というのは、親が死ぬまで、という意味ではありません。親が死んでもその影響や後遺症が一生残り続けることもあります。
そう、自分自身が死ぬまでずっと、続くのです。文字通り一生です。
それが親子というものなのです。

想像できるでしょうか。
前述したような親からの行為を生涯受け続け、前述したような不都合が自身の身に起こり、それでも事あるごとに親と関わって生きていかなければならないその苦しみを。
その地獄を。

おわりに

随分と長くなってしまいました。ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
ざっくりとではありますが、毒親とはどのような人のことを指すのか、その影響はどんなものなのかということについて、ほんの少しでも理解の手助けになることはできたでしょうか。

毒親、親ガチャなどという言葉を耳にするようになったのはここ最近ですが、筆者自身ははそのカテゴライズや名称自体は正直どうでもいいと思っています。
毒親毒親と言いますが、大抵の場合において、今現在苦しんでおり焦点が当たっているのは、『毒親育ち』である子供の方です。

毒親なんて幻想だ、ただの被害妄想だ。
そのような意見を見かけることも少なくありません。
しかし、そのようにお考えの場合は、今一度認識を改めていただきたいです。

親の行為によって苦しみ、その苦しみが今も続いている人は、実在します。
苦しみの果てに自ら命を絶ってしまう人もいます。
どうか、疑ったり軽視したりしないであげてください。苦しんでいる当人の話を、どうか聞いてあげてください。
本人にとっては、一生解決することのできない、自分では変えることのできない生涯の苦しみなのです。
その苦しみを、悲しみを、怒りを、孤独を、どうか否定しないであげてください。

死んだ方がましなのですよ。
本当に。

そのくらい切実な悩みであるということを、覚えておいていただけると幸いです。


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