見出し画像

背後から振り落とされる斧に助けられた私と私のお化けに対しての視点

唐突ですが、お化けって信じますか( ´ ▽ ` )?

私は、どうかなー、居ても居なくても良いやーって感じです笑笑。
祖母から聞いて笑うエピソードで
『夜中にガタガタ音がするから、そっと起きてみるとNorikoが電気も付けずに真っ暗な中トイレに行っていた』
って話があります💦
それは、私が幼稚園の頃らしいのですが、祖母が理由を聞くと
『電気付けんでも見えるけんイイ』
だったそう…。

小さい私、論点はそこじゃない( ̄▽ ̄)💦

暗闇が怖いのは人としての本能で
先が見えない不安から恐怖心があるようですが
私の場合は、何でしょう…。

モノ凄く肝が据わってるか
本能すら発動しないのか…。
あまり追求したくないです( ´ ▽ ` )笑ってスルー

そんな私が中1の時、祖父が他界しました。
ずっと入院ばかりしていた祖父だったので、悲しいとか寂しいとかは余りなかったのですが、葬式も終わり納骨までの期間、仏壇に祖父の骨壷が置いてあった夜の事です。

その日は台風が近づいていたにも関わらず、
父は夜勤でした。
直撃でも無いし、大丈夫だから早く寝てしまいなさいと、父は私が作ったお弁当を持って仕事に行きました。
祖母はまだ脳梗塞で入院中で、家には私だけ。
私も雨戸がガタガタ言うけど、
雷が激しく鳴っているけど
さほど気にもせず、早めに風呂に入り、寝る準備万端でテレビを見ていました。

と、いきなりバシュンと家中の電気が落ち
一瞬にして真っ暗闇です。
後から知りましたが近くに雷が落ち、停電したとの事でした。

真っ暗な中、しばらくして目が慣れた頃、
ブレーカーを上げようと台所に行きましたが、
我が家のブレーカーは、バカみたいに高い場所で
しかも椅子に乗っても手が届かないへんちくりんな場所に設置してあり、私は椅子の上で定規を使ってしばらくフガフガと頑張りましたが、固くて上がらず断念。
どうしたもんかなぁと考えている時
仏壇の蝋燭を思い出しました。
あぁ、蝋燭があったと、仏間に入った私は
ぼぉっと祖父の骨壷が光っている様に見えたのです。
お陰で私は迷う事なく、蝋燭とマッチを手にして灯りをつける事が出来ました。

次の朝、父が帰宅しブレーカーを上げてもらい
骨壷の話をしたら、
『蛍光する骨壷なんかある訳ないだろ』と笑われたのですが、いやいや、私は見たんです。
私は怖いと言うより、祖父が暗い中を照らしてくれたのかなと、そう今も思っています。


カナダのヴァンクーバーで借りた古い煉瓦造りのアパートは、前の住人から引き継ぐ際に
『ねぇ、霊感ある?』と聞かれました。
多分無いと思うと答えると、冷蔵庫の前に女性が出るんだよと話してくれました。
『海外のお化けって足があるんだよね』と聞くと
『いや、床から上半身だけだから見えないんだ』と。
凄いなー、床すり抜けかーと笑う私は、前人から呆れ顔で引き継ぎを済ませたのです。
結局、1年以上住みましたが、私もルームメイトも床すり抜け女性に遭遇する事はありませんでした。
ただ、気持ちが悪かったのは、明け方3時くらいに電話がかかってくるんです。
出ると、ザザザーっと砂嵐の様な音がするだけの電話でしたが、ちょうどハリウッド版のリングが映画公開されていた事もあり、友人達は皆、気味が悪いから早く引っ越しなさい!と言ってました。
結局のところ何だったかは不明です。


実家で飼っていたコーギーが娘に会いにきた時もありました。
彼は團十郎という名前で
17歳で亡くなって、犬としては大往生でしたが
娘がまだ5歳くらいの時。
私に怒られ、部屋でクスンクスンと泣いていた時
ふとベッドの下を見ると彼がいたらしいのです。
階段を転がる様に降りてきて
『ママ、ベッドの下に團十郎がいる!』と叫ぶのです。
慌てて見に行きましたが何も無く…。
泣いてるから心配したんじゃないかな?と2人で話しました。
私も会いたかったな、團十郎。


思い返すと、私は見えないモノを怖いと言う感覚で捉えていないのだなと思います。
本当かどうかわかりませんが
私が小さい頃、祖母が故郷の大分県日田市のある人に私を見てもらったそうです。
その時
『この子には2人の女性が守りとして付いていて、生死に関わる様な間違った判断の時、後ろの女性が持つ斧を肩へ振り落とす。肩に激しい痛みを感じる時は気を付けなさい』と
言われたそうです。
私は祖母に言われる度に、ふぅんと聞いていました。
でも、私はこの激しい痛みに救われたのかな?と思う事があるのです。

2004年12月26日に起きた
スマトラ島沖地震を覚えている方はいますか?

その時の私は、オランダ姓の彼を亡くして、国内外をフラフラしていました。
海外でVISAが切れると日本に戻り、少しバイトをしてまた日本から出る生活をしていた時期です。
カナダやアメリカの友人達と、クリスマス休暇を南の島で過ごさないかと言う話が盛り上がり、
女ばかりの5人で、中国の遺跡を見てタイのビーチでクリスマスと新年のカウントダウンをしよーじゃないか!と話がまとまりました✨

万里の長城や上海、北京などをウロウロして、
タイに移り、クリスマスと新年をビーチで⛱!と決まり、それぞれが日本、カナダ、アメリカから飛行機のチケットや泊まるホテルなんかを手配していた時です。

私は急に肩に、と言うか背中に激痛が走って息も出来ないくらいの痛みを経験しました。
その頃、パニック障害も拒食症もバンバンありましたので、背中の痛みは何か内臓系や、悪けりゃ大動脈系の何かかと思いました。
チャットで、その事を皆んなに話すと、検査に行きなさいよと。じゃないと旅行も楽しめないじゃないと言うのです。
日にちをずらしたら皆んなで集まれないし、早く診てもらいなさい!と言われ、
そうだよねぇ、この痛みは半端無いもんなぁと思い、総合病院を予約した日です。
アメリカの友人が
中国に入るには特別なVISAが要るー!!
間に合わないー!との連絡がありました。
日本人の私は中国もタイもビザが不要でしたが、彼女は必要らしく、日程的にどうしようかと
私の背中の痛みもあるし、そもそも止めてしまうかな?と皆んなで話し合っていると、
だったら、初めにタイに行って、クリスマスとカウントダウンは上海にするのはどうかと言う案が出ました。
つまり行く順番がタイから中国へと逆になる提案でした。
再び、それぞれが飛行機やらホテルやら調べると、うん!大丈夫じゃん✨と言う結果になり、
しかもアメリカの彼女も、だったらVISAが間に合うわと。

とんとん拍子に円満に解決ー✨( ´ ▽ ` )となった後、嘘の様に私の背中の痛みも無くなりました。
検査結果も何もありませんでした。

私達は無事にタイで合流し、パタヤビーチで数日を過ごし、ピピ島でシュノーケリングをしたりこんがりと日焼けした後、
23日に北京へ移動しました。
中国は旧暦で、全くクリスマス感もなくアメリカの友人がぷりぷり怒っていましたが、凍える様な寒さの中、万里の長城を見たり
それなりに女ばかりの旅を楽しんでいたのです。

そして上海に移動し、クリスマスパーティーをした次の日の朝、私たちはスマトラ島沖地震のニュースをホテルで見ました。
私たちは声も出ませんでした。
先日まで過ごしたビーチやホテルが津波に飲まれて消えていました。
友人の1人が、ピピ島で仲良くなった船の人にメールを送りましたが、2度と返事は帰ってきませんでした。

最初の案ならば、ちょうどタイに居るはずだった私たち。
カナダの敬虔なクリスチャンの友人は泣いて泣いて、その日は観光どころではありませんでした。
私たちは、お正月を上海で過ごし、年明けにそれぞれの国に帰ったのですが、あの時の背中の痛みは、振り落とされた斧だったんじゃないかなって、時々思う事があります。

見えているだけが全てでは無いと
私は思っています。
祖父も祖母も、團十郎もオランダ姓の彼も
私を見てくれているに違いないと信じていますし
偶然だと思う事も、実は必然的な事だったりもあります。
他にもいろいろあったのです。

イギリスでは、利用した地下鉄が時間差で襲撃されたり、イタリアでは乗るはずだった列車にたまたま乗り遅れたら、その列車に爆発物が仕掛けられたとのニュースが流れたり。
その度に背中にあんな激痛が走るのは嫌ですが、
あれっきりな気がします。

不思議な世界があっても
不思議じゃないんだなと私は思います。

そりゃ貞子とか、オーメンみたいなんとか、
エクソシストみたいなら
お手柔らかに…
ちょっと昼間に限定して
しかもかなり遠くから
ちらっと見たいなぁとは思います( ´ ▽ ` )💦💦

ガチ怖いのは、やっぱり怖いかも(´⊙ω⊙`)💦


#コーチング #レジリエンス#海外留学#バイリンガル#世界ひとり旅#ヒッチハイク#パニック障害#福祉の世界#拒食症#シングルマザー#子育て


この記事が参加している募集

眠れない夜に

良かったらサポートをお願いします。我が家のパソコン💻購入にご協力下さい!コメントも頂くとガテン頑張れます✨✨