見出し画像

「アイラブユー」のその先に、出会える日まで。

「アイラブユー」の訳を書きましょう、という宿題をもらったのは、今年の5月のことだった。

通っているライター講座の宿題だったんだけど、
これはまた、むずかしいお題がでたなあ、と首をかしげながらノートにむかう。

夏目漱石は「アイラブユー」を「月がきれいですね」と訳したけど、
それは、どんな関係の女性に、どんな場所で、どんな気持ちで言ったんだろう。

世の中の人は「アイラブユー」を、なんと訳したら共感してくれるかな。

わたしだったら「アイラブユー」を、どう伝えようか。

宿題を完成させるために、あれこれ頭をひねらせていたら、
言わずもがな、恋や愛について、自分の過去を掘り下げることとなった。


わたしの中で、
恋は、壊れやすくて脆くて、弱い一過性のもの。
愛は、何があっても揺るがずに、強くあり続けるもの。
という定義がある。

この定義を、自分の過去に当てはめたとき、
いままでのわたしの恋愛経験では、
愛と呼べるようなものは、ひとつもない、と気づいた。

とても好きだったけど振られてしまったり、
成り行きで付き合ったり、
運命だと信じていたけど別れたり。

いろんな恋の形があったけど、
そのどれもが、恋に過ぎなかった。

そんなことを考えているうちに、
「いままで積み重ねてきた恋は、単なる過程だったのかもしれない。」
という気持ちが沸きあがってきた。


愛は、かならず、わたしの中にもある。
でもまだ、ひとりの男性を思い切れるほどには、
成熟していなくて、まだまだ成長途中で。

この人が最後の人だ!と決心し、花開く日を、待っている。
いまはまだ、つぼみのまま、心の奥底に深く根を張っている。

そしてそれは、自分ひとりの気持ちだけで、どうにかできるものではない。
相手も同じように想ってくれてはじめて、成立するもの。


恋について、劣等感を感じ続けていた20代。
うまくいかない恋のすべては、わたしのコンプレックスだと思っていた。

だけど、そのどれもが、ただ愛になりきれなかっただけだとしたら。
愛に出会うために、終わらせるべき運命なのだとしたら。

うまくいかなくても、気持ちを下げることはないのだと、思った。
だって、しあわせになるために、必要な過程なんだから。

どれだけ長く交際をしても、
すごく大事にされているようにみえても、
愛に変わることができなければ、恋は恋でしかない。
一生ものにはならない。

恋と愛を明確にわけた定義の上で、みつけた答えだった。

だけど、恋は愛に変わりうる種だから。
大事に大事に育てて、花を咲かせるには、恋の種が必要。

わたしにぴったりの相手をみつけるために、わたしは何度でも恋をする。
そして、めいっぱい真剣に恋をして、愛をみつけたいと思う。

一生を添い遂げる覚悟をもてる相手と出会い、約束を交わす。
そのときこそが、きっと、恋が愛にかわる瞬間。
そのタイミングが「アイラブユー」のはじまり。

まだ出会ったことのない、たった一度の瞬間。

いつかわたしにも、そんな日が訪れますように。

さいごまで読んでくれてありがとう!うれしいです!🌷