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広島 原爆投下の日

衝動的に綴ってしまいましたが、これが85[ハチゴウ]を代表しての言葉で良いのか…?と考えています。
センシティブな事なので色々とご意見あるとは思いますが、御容赦下さい。

今朝は広島に原爆が投下されてから、79年目の朝。
広島では核廃絶に向けた平和記念式典が開かれ、こども代表として二名の方が宣言し、その中で画像の様な言葉がありました。
是非、多くの方が広島に来て、伝え手の言葉を聞き、資料に触れ、原爆・戦争の事を知って下さい、といった言葉でした。
先の、終戦記念日についての投稿でも書きましたが、僕が子供の頃は、この時期になると各局こぞって戦争を題材にした番組を放送していました。
それらを見ると、やはり戦争を意識しますし、自分が生まれる前の事とはいえドラマやドキュメンタリーでは身近にあるリアルとして感じ取る機会がありました。
今では、この時期ほとんど戦争を題材にした番組を見る事はありません。

広島に行き、原爆資料館では肌身に感じる事が出来るでしょう。
でも、どれだけの人が広島に行き、原爆資料館に足を運べるのか?
毎年被爆者の方が一人、また一人と減っています。
また同時に、戦争を知らない、もしくはリアルに感じえない人が急速に増えていると思います。
実際に経験された被爆者の方の話や、感情移入し易いドラマなどがTVで放送される事で、色々な世代や多くの人々に届ける事ができるのに、何故そうした番組を放送しないのかを考えてしまいます。
何か問題があったのか、視聴率の問題なのか、それとも国の方針なのか?
東日本大震災の時に「風化させない」と各局が番組でうたっていました。
戦争こそ、人間の意志で止める事も、始めない事もできる、風化させてはいけない事なのではないか?
ウクライナでは日々戦争が続いていますが、そこに身近なリアルを感じる事はできません。

次世代を担うこども代表の二人は、多くの人に原爆の事、戦争の事を知ってもらい、二度と起こさない宣誓をしたのだと思います。
それでも国の予算は、国防費として軍備増強の為の大幅増となり、会社でも個人でも、税を納めている立場として大変疑問に思います。
形式の上で式典はするが、こうした言葉に向き合わず、それはそれ、これはこれ、と大人の割切りとはぐらかされてる感じがします。

この時期だけでも、戦争の事を意識し、二度と過ちを犯さない様に考えられる時間を作れるようにできたらと考えます。