備忘録vol.07「設定を変える」
人生長く生きていると、様々な「ステージ」みたいなものが節目節目に現れるのだと理解しています。それは最低10年くらいのスパンでやってきました。
第1ステージ
大学生活を無事に終えると、おきまりの就職活動でアルバイトじゃない正社員としての生活に胸を躍らせ飛び込みました。人生最初のステージ。不安と期待が入りまじり、生意気にも「社内で出世する」ことを目標に活動。
結果、社内で出世するという作業はなかなか達成できません。会社は上手に我々を「労働力」として最低賃金でたくさん仕事をさせようといろいろな手法で私を管理しようとしてきました。
何回かの転職を経て会社員生活も20年くらいを迎えようとする頃、もやもやとした思いが湧いてきました。果たしてこの環境で、定年まで会社に飼い慣らされていて良いものか?と。
第2ステージ
多かれ少なかれ固定給というものを継続して頂戴し、マイホームもローンで購入できたし(75歳までの長期ローン組みました)家庭も持てた。でも、何かその環境に馴染むことをよしとしない自分がいました。
そうだ。「設定」変えよう。会社を起こすんだ。自分はもう会社員には戻らない。そう決意して300万円で有限会社を立ち上げます。
この時の設定変更は「清水の舞台から飛び降りる」ような決断でした。それはそうです。安定した生活を捨ててまた就職前の段階に逆戻り。ですから。持ち合わせていた能力といえばパソコンスキルと日常英会話くらい。おいおい大丈夫かいな?
「見切り発車」。でも決めた以上やすぐやる!そう決意して文字どおり「石の上にも3年」の覚悟を持って会社運営をしてみました。この言葉、新しいことをやる際には必ずつきまとう事実です。もう後戻りはできません。
発車してみたものの、思ったように売り上げが作れず、心が折れかかったなんて数え切れません。その度に「社長」という自覚に支えられたのでした。自分がやらなくて、誰がやるんだ?そういう強い思いを維持できたことが良かったのです。
第3ステージ
会社は3年目くらいから、年率で30%程度ずつ規模が拡大し続けました。在庫商売なのですが、3期目くらいから利益率はほぼ50%で推移しました。
売上の推移
初年度 80万円
2期目 800万円
3期目 2400万円
4期目 3800万円
5期目 4800万円
6期目 6300万円
7期目 8400万円
8期目 9800万円
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13期目 1億2000万円
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17期目 2億8000万円
毎年、イタリアに出かけて旅をしながら商材発掘や取引先との関係作りを行いました。今では仕事の枠を超えて自宅に遊びに行く関係になった取引先も。仕事は充実していましたし、仕事と称して贅沢なホテルやビジネスクラスの飛行機をマイレージを使って予約したりとお金もたっぷり使いました。
売り上げが増え続けているので、強気でした。百貨店での売り上げが同業者に知れ渡り、意気揚々としていたと思います。きっと当時の自分を知る人は「傲慢なやつ」と思ったことでしょう。今から思えば恥ずかしい限りです。
しかし、ある事実を見て見ぬ振りをしてきたことで、次第に自分の中に漠然とした不安が生まれるようになります。それは「会社(の売り上げ)」を大きくするためには銀行交渉が必要不可欠であり、借り入れ額が売り上げとともに増えていったことでした。
例えば輸入ビジネスを展開するためにはある程度「前金での取引」が必要になります。そしてそのお金の回収は半年からややもすると1年後。これを回すために億単位のお金を銀行から借りてきて、それを一度返してまた借りる、という事実。「ビジネスの落とし穴」が待っていたのです。
自分が行う社長業は次第に「買い付け(仕入れ)」から「銀行交渉」へとその重心を変えていきます。そんな時に思いがけない事態を迎えます。ある年のイベント出店(当時、百貨店のイベント催事がドル箱でした)で売り上げが芳しくなく、大量の不良在庫を生じてしまったのです。
第4ステージ
さて、こうなると銀行の態度がガラッと豹変します。今までのようなジャブジャブ?お金を貸す態度が急に慎重になり、在庫の精査が始まりました。メインバンクの新しい支店長からは、これ以上の融資は不可能と告げられます。こうなって初めて、自分が実は自転車操業をしてきたことに思い切り気づかされました。
銀行からの融資がなければ、このスキームは成り立たなかったのです。
こうして、18年続けた事業を譲渡することを決意しました。社内にいた社員たちも一人抜け、二人抜けしていきます。自分の元を訪ねてくる銀行担当者との話は社内で筒抜でした。もう、組織としての体もなしていなかったのです。一緒に買い付けに出かけ、会社を盛り上げてくれた役員(事実上の恋人でした)との関係もこれを機会に破綻します。
全て自業自得です。そして思い知りました。「自分は社長には向いていないのだ」と。そして今、自分は裸一貫の無一文となって新たな道を歩み始めています。組織を束ねるのではなく、自分のこれまでの経験を誰かの役に立ててもらおう、としています。
4番目のステージでは一人きりで情報発信を行うこと。YouTubeも育てています。もう高級なホテルもビジネスクラスの飛行機にも乗りたいとは思っていません。もう十分、経験してきたと思っています。銀行ともおさらばです。
こうしてまた、新たな石の上に3年がスタートしました。
まとめ
自分の人生には10年タームで大きな変化が訪れました。ジェットコースターのような浮き沈みがあるけれど、それを招いたのは全て自分。自身が設定したステージに自分がはまっていっただけのことです。
人間はある目標を定めると、その目標を達成するために必要な情報に自分の関心が向くように、脳みそが勝手にセットしてくれます。まるでジャイロスコープのついた巡航ミサイルみたいなものです。
言いたいことは、一つの設定を設けたらしばらくは鳴かず飛ばずでも諦めずにやり続けること。そうすると3年くらいして少しずつ結果が出せます。そういう意味で「設定」が実は一番目に大切なことと思っています。年齢がいくつだろうが全く関係はありません。体力は落ちていくけど、頭の中は幾つになっても鍛えることができると思っています。
何かの参考になれば幸いです。