役に立たないお金の話

 新築祝いをしたとき、私は9歳だった。親戚の大人たちが父方からも母方からも大勢集まって、子どもの私は肩身が狭かった。そこで隙を見て自分の部屋に戻り本を読んでいると、母方の叔父が上がってきた。叔父は子どもの無意識下にも、彫の深い映画俳優みたいな印象を与える風貌であった。その叔父が、お父さんとお母さんには内緒だよ、と言いながら1万円札を渡してきた。それでどのくらいのものが買えるか検討はつかないものの、大金であることは私にも分かった。私は遠慮しようとしたが、叔父は聞かずに私のポケットに折りたたんだ1万円札をねじ込んで階下に行ってしまった。
 叔父としては姪っ子を喜ばせたい一心だったろう。しかし真面目な9歳にとってその紙切れは重圧だった。両親に1万円という大金について内緒にするのは犯罪に等しいことである。一方で両親に打ち明ければ、叔父の言いつけ(聞き分けの良い子どもにとって大人に言われたことはすべて言いつけなのだ)に背くことになる。そうなると考えられる道はただ一つ、お札の方を亡き者にすることである。
 とは言え、ゴミ箱に捨てるには抵抗があったし、母に知られる心配もあった。水に浸けておけば溶けないかしらと思って洗面所でやってみたがお札というものは丈夫だった。まったく無事である。
 結局、数日間重たい心で保管した末に、くしゃくしゃにしたのを念入りにティッシュでくるんでゴミ箱に捨てたのだった。
 
 また大学への進学が決まったとき、親戚中が進学祝としてお金を包んでくれたのだが、そのときはしきりに母が申し訳ながるのが嫌だった。その姿勢が感謝の表現であることは分かっているが、それを差し引いても母の申し訳ながり方はへこへこと軟弱で大仰でしつこかった。(念のため断っておくが、私の母は基本的には娘から見て誇りに思えるような人である。)これまでのお年玉でも嫌だったが、お年玉はお正月の1日か2日耐えればよいのが、進学祝は1週間くらいぽつりぽつりと来てそのたびにへこへこされて堪らない。その最後の方、両親が留守の間に親戚の叔母がケーキとお金を持ってやって来た。家に来るとたまに絵の話をしてくれる叔母で、私も親しくしていたから、祝われるのは嬉しかったし、ありがたかった。しかし、叔母が帰った後に頭をもたげるのは、また母のへこへこが発生するぞ、嫌だなぁという気持ちである。だから私はケーキだけ母に渡して、お金のことは黙っていることにした。お金はどのみち私が使うのだし、(特に叔母は美術館費用にしなさい、と言ってくれたのだった)お礼は私からきちんと述べた。という、一応の理由もあった。
 が、後からお金を受け取った件がばれ、何故言わなかったのかと責められた。母のへこへこが嫌だったとは何となく言えず、忘れていたと言いながら無理があるな、ただ横領したように見られているだろうなと思ったことを覚えている。

 こういうことを思い出すと、自分で稼ぐお金はいいなあと思う。働いた対価として正当に受け取るのだからへこへこも遠慮も不要である。当然の顔で何の後ろめたさもなく受け取れるお金、何の葛藤もない、せいせいとしたお金である。私は労働が好きな方ではないが、せいせいしたお金を受け取れるという点では労働はすてきだと思う。