コロナ対策と労働に対する価値観への一考察【ゴミ箱行記事】

 勤労を精神的紐帯・共通の倫理としてきた近現代の価値観は、“余計な勤労”こそが自らのみではなく他人に対しても死を招きかねない行動となっている。機械化・AI化が(ともすればやや過剰に)騒がれ、人間固有の美徳とされてきた勤労という概念が根底から揺るがされている中において、さらに、勤労が社会に対する裏切りとなりうる状況は、大いなる不安を市民に敷いていると言えるだろう。

 勤労倫理から近代は始まったが、かといって、個人の理性に基づく変革・改善を基調とする現代人がいつまでも勤労の呪縛に縛られている必要はないのだ。車輪が木製から始まったとて、それを廃して金属製やゴムタイヤを履いてはいけない訳ではない。

 むしろ、混雑や余計な労働(もちろん、食品・物流・医療などの必須なものはこれに含まれない。)が害悪となる今こそ、惰性や無思考で動き続けるのではなく、真に理性的に判断するべきではないだろうか。

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