人と繋がるのが怖い私でも、居ていいと思えたのはアレのお陰だった。

前回書いた記事が
あっという間に20以上のスキ(あってる?)を貰い
若干ビビっているまいちんです。

なにせ人が怖い時期が長かったので、
多くの人の目に触れるとなると緊張する私。
(その辺の話もいずれ書きますね)

でも、ありがたいなぁと思う。
暫く書いてなかった人が戻ってきたから
noteのアルゴリズム的にも
優先して表示されているに違いない、と
冷めた気持ちで見ている私もいるけど。
それにしたっていいね、って
いやスキだったか(どっちでもいいか)
してくれる人の心の広さを、感謝の気持ちで受け入れたい。

もう人は怖くない。
いや、というよりも
多かれ少なかれ、みんな人が怖いんだ。
怖くていい。

豆腐メンタルだった20代


私がまだ20代の頃。
これといった仕事もなく
三軒茶屋のボロくて(築50年は経ってたな)
小さな風呂なしの部屋に下宿していて、
たまに夜のお店で働いては日銭を稼いで、
彼氏はいたけれど良い恋愛はしてなくて、
人も怖いし、生きててもいいことないなぁって
絶望しかけてた頃。

もう何もかもどうでもよくなって、
ずっと食べないでいたら〇ねるのかな、と
床に転がったままぼうっと考えていた。
あの板間の床は今でもよく覚えている。

そうして持て余す膨大な時間に
不穏なことばかり考えていたら
ある時ふっと
「どうせなら、少しやりたいことやってみてから
 〇にたいな」と思えてきて
海外に行くって決めることになる。
底打ちするって大事だ。

その後、いろんな経験をしたし
結婚もしたけれど、
ずっと人は怖かったし、孤独だった。
今思うと大分追い込んでたなと思うけれど、
その頃の私は俯瞰できるほど賢くなかった。

でも救いが少しだけあって、
それが言葉だった。

一人目の子どもを妊娠した頃、
初めてSNSに登録することになるのだが、
それがFacebookで

なんのことは無い内容だったけれど、
思いつくに任せて投稿していたら
段々といいねが増えていって、
その、いいねしてくれた顔ぶれを眺めていたら
「私、人が怖いと思いつつも、
 色んな人と繋がってるんだな」と思えたのだ。

そうしたら、
沢山並んだアイコンの顔がみんな
私を応援してくれてる!と壮大に勘違いして
元気を貰えたものだった。
(相変わらず人と目を合わせるのは無理だったけど)

いいねや承認を求めすぎると苦しくなるけれど、
少なくとも底辺でもがいていた私には
SNSは蜘蛛の糸だった。

人と繋がることのパワーは計り知れない。
一人じゃないと思えることで
人は生きていけるんだ。
勘違いさせてくれたFacebookには感謝している。
そしてnoteにも。


幼稚園には早咲きの紫陽花が。雨の日も悪くない。

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