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ネタバレ『君たちはどう生きるか』感想

ざっくりいうと
「一般的にはいい作品なんだろうけど自分に刺さるものがなかったなあ」
という感じだった。
先に言っておくと「ヘッこんなジブリなんてつまらねーぜケッ」という逆張りではなく、まぁちびまる子ちゃんは一般的におもしろいとわかるしそれなりの人類が見てそれなりに楽しめるとは思うが「ウォオオオオちびまる子ちゃんの〇〇回語るぞ!!」とはあんまりならないと思う(語る人類もいるだろうけどごめん)
多分そんな感じ。

でも一発で中身が全部腹落ちしなかったのも原因なのかもしれないので、もう一度見たら変わるのかもしれないが、そこまでさせるほどのパワーはなかったなぁと思っている。
僕の中で劇場版少女歌劇レヴュースタァライトを見たときは、前作を見ずに行ったので、当然さっぱりわからなかったし、今見返しても作品として未熟な面がちらほら見受けられると思っているが、それでも「これはなんとしてでも理解したい!」と思わせる、一歩自分の中に踏み込んでくる何かがあった。
けど『君たちはどう生きるか』にはなかった。
そんなかんじ。
多分僕の中で、スタァライトと立ち位置が真逆。作品としての完成度は高いし、わからないところはほとんどなかったが、踏み込んでは来なかった。

おそらく、主人公が謎に戦時中、戦後の少年だったのもデカい。あの要素は作品単品で考えるといらない。 いや、作中の他の要素を理解できていないからなのかもしれないが。

この踏み込んでくる/こないが何故だろうか?
を考えたいが、パーソナルな部分なのでどうにも難しい。単純な作品の出来の良し悪しの話であれば自分のこと関係なしに考えることができるが。

この踏み込みがないと、客観的に良かったと思えるところに関しても語る気力がどうにも落ちてしまう。

主人公の主観表現がとても好きで、最初の燃える工場に突っ込んで行こうとして音がぼんやりとしか聞こえなくなる表現や、「あそこがお父さんの工場ですよ」と言われても画面は工場をはっきりと映さない(多分、主人公が見たくなくてろくに見てないということだろう)表現とか、客観的にこういう作りがよかったんじゃないでしょうかという『解説』はできるが、『語り』たいものが特に何もない。

ただ、少なくとも、語りたいものないなぁ~といいつつ解説できるほどにしっかりと作品自体は出来上がっていたとは思っているので、タイミング次第でもあるかなと思っている。
要はパーソナルな部分、こちらの受け手側の部分が主で、作品側でできることはやっているというか。
世の中そもそも「パーソナル部分が合う合わない以前にやることやってねぇじゃねぇか」という作品は多いので。


でもやっぱり、そうはいいつつ、文句を一言だけ言わせてほしいけれども、一言言うなら『説明多くね』というところというか、ぶっちゃけ宣伝の段階でコレアオサギすら出してほしくなかったなと思って…………。
あの謎の塔の中の方の世界に入って行ってからはどんどん説明無しでビジュアルで見せていくシーンが多分にあったが、物語前半は個人的にどうも説明が多いし、わりと鳥(アオサギ)の出現があからさまだよなというか浮いているというか………。
しかしそれは事前情報がアオサギ"のみ"で、明らかにアオサギが重要キャラであることがわかっているからこそだとは思う。

こうやって話していてわかってきたが、あらすじや告知が事前にあると、どうも身構えてしまう。防御されてしまう。
どういう防御かというと、あらすじですでにファンタジーバリバリの作品だとわかっていたら、冒頭戦争や日常の描写があっても「ファンタジーくるぞ…」と構え、あまり日常シーンを熱心に見なくなってしまう。他方で、今回ファンタジーであること自体は明かされていたが、どの程度かは全くわからなかったため、戦争の話や日常が冒頭出てきても、そこを熱心に見続けていた。

あらすじや告知により、作品の"型"がわかってしまうと、その型でしか見ようとしないし、本来引っかかってほしくない部分でも引っ掛かりを覚えてしまうことになる。

凡百の作品にとっては、そもそも型を先に教えておかないとちゃんと相手に伝わらない程度の表現しか出来ないこともあり、型が必要だったりもする。
しかし、長年アニメ映画で第一線を張りつづけた宮崎駿にとってはそんなもの不要で、むしろ作品を楽しむ阻害要因にすらなっていたんだなと思った。

そういうわけで、宣伝なし前情報なしというのは、宮崎駿監督作品においては大成功なんだなと思った。

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