2024.01.19 距離の感覚。平凡。

距離感が心地良い。
そう思える人にこの間出会った。

人との距離感。
いつからか、何となく気になるようになった。
人はそれぞれ、目には見えないテリトリー空間を持っている気がする。
自分の安全基地。
ある一定の距離を踏み込まれると、驚き、緊張、不安、そんな感情が込み上げてくる。
野生動物の縄張りみたいなものだろう。

空間の広さ。
それに対する人の人数。
相手との関係性。
条件によって、感じ方は変化してくる。
そんな気がする。

ある人と仕事でサンプル品の試食をすることがあった。
4人がけテーブルが並んだ空間。
相手はパソコン作業をしながら。

私が作業を終え向かうと、2つのテーブルを使って、対角に席が用意されていた。

この人、距離の感覚が合う。
そう思った。
関係性的に、横並びは近すぎて、話もしづらい。
同じテーブルの対角は、距離的には適度だが、しっかりと腰掛けなければならない。
帰る時間が異なり、あまり長居せず、かつ試食しながら雑談もするあの時間には、適度な自由さが残るあの配置がぴったりだった。


作家 島本理生さんの『よだかの片想い』という作品の、あるシーンを思い出した。主人公のアイコが想いを寄せる映画監督の飛坂さんと喫茶店で過ごす場面だ。

二人でテーブルに向かい、こぼれるようなピアノの音色を聴き、ボールペンの音を重ねていると、今、ここに自分がいる意味がやっと見つかった。

私は島本理生さんの大ファンで、理生さんの本にはまり始めた高校生の頃、1番好きなのはこの『よだかの片想い』だった。
その時は、ラストのアイコが飛坂さんに会いに行こうと感情のままに動き、乱れ、そしてふっと冷静になり恋を終わらせるシーンが一番印象的だった。
それなのに、面白いことに、先日久しぶりに読み直してみると、全く記憶にすら残っていなかったこの喫茶店のシーンが一番印象に残った。
価値観が変わったのだと気付かされた。


話は逸れてしまったが、距離の感覚について書きながらふとあのシーンを思い出したのは、
平凡が故の安心感と心地の良さがどことなく似ていたからなのかもしれない。
今の私には平凡がちょうどいい。
心拍数が跳ね上がるほどの喜びより、
少しだけ口角が上がるような穏やかな喜びが。

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