2023.10.07 LD。見え方の違い

前回、前々回の投稿で「発達障害」という言葉について書きました。
今回はその最終回。LD、日本語で言う学習障害という視点から見たら、、、ということを書いていきたいと思います。

前々回、前回はこちら
↓↓↓


「LD」って聞いたことありますか?
「学習障害」という言葉なら耳にしたことがある人もいるかもしれません

そもそも「発達障害」とは何を指すか。
大きく3つに分けられます。
・「ADHD(注意欠如・多動性障害)」
・「ASD(自閉スペクトラム症)」
・「学習障害(LD)」
発達障害=ADHD と思っている人もかなり多いと思いますが、ASD、LDも発達障害という括りに分類されます。

LD(学習障害)は、大きくわけて3つ。
・「読字障害(ディスレクシア)」
・「書字障害(ディスグラフィア)」
・「算数障害(ディスカリキュリア)」
それぞれ、文字を読むこと、文字を書くこと、計算したり推論することに困難さがあります。
このように特定のことに難しさを感じているだけで、全体に知的な遅れがあるわけではありません。

読み書きが難しいと感じる裏側に、例えば文字の見え方が関係しています。

電車の窓を見た時、物や人が何重にもなって見えたことありませんか?
zoom中に、紙に文字を書いたものを画面に向けてみんなに見せようとしたら、反転しちゃって読めない、なんて経験ありませんか?
目眩がしたりお風呂でのぼせて、世界がぐにゃぐにゃに見えたことありませんか?
大小様々な数字があって、この中に5は何個ありますか?みたいなクイズやったことありませんか?
目が悪い方は、メガネやコンタクトが無いとぼやけて見えませんか?

学習障害の原因に見え方が関係している場合、
平面に真っ直ぐ書かれた文字がそういう風に見えるんです。

例みたいな見え方の場合、実際どんな時に困っているのか。

学校に通う子の場合、困ってる心の気持ちを代弁するとしたらこんな感じでしょうか。

「黒板に書かれた字が読みづらく感じます。
黒板の字が読みづらいから書き写すのに時間がかかります。
時間がかかるから、全部書き終わる前に、先生が消しちゃってまた新しいことが書かれます。
連絡帳に書ききれないから、次の日の持ち物や時間割が分からないことがあります。」

「教科書の文字が見えづらいです。
どこがひとつの文章なのか、どこで区切られてるのか、分かりづらいです。
だから教科書を読んでって言われても、読むのに時間がかかります。
スラスラ読めなくってみんなに変な目で見られます。」

こんな風に色んなところで困っています。
でも困っていても言えないから、みんなと同じように出来るように、一つ一つのことを一生懸命、一生懸命やらなくてはいけません。
だからみんなよりも疲れやすいんです。
疲れるから伏せて寝てしまうこともあるかもしれません。
でも先生や友達は「寝ないで。サボらないで。」って言うでしょう。

学習障害は、それをちゃんと知らない人から見ると「サボっている」と思われがちです。
たくさんたくさん困って悩んでいるのに、味方になってくれる人はなかなか居ません。

出来るサポートは沢山あります。
例えば教科書だったら、1行ずつ表示できるしおりのようなものがあります。
タブレットを使えば、音声機能を利用することや、文字を打ち込んで入力することが出来ます。
ほんのちょっとだけでも、できるサポートをすることで、過ごしやすさがぐっと変わるんじゃないかなって思います。

「発達障害」「学習障害」という言葉は、「障害」という言葉がついているから、なんとなく「悪く区別する言葉」に聞こえます。

でもその言葉自体は必要だと思うんです。
この言葉が無ければ、「良い意味で区別する」ことが出来ません。
「サポートする」ということは「良い意味で区別する」ことだと思います。
区別することで「みんな一緒」「みんな同じ」の思考にならずに済みます。
「みんな違う」だけで終わらずに済みます。

「みんな違う」って、それだけで終わったら「みんな同じ」と変わらないと思うんです。
「みんな違う。この子はここでこんな風に困ってるからサポートしよう。あの子はそこであんな風に困ってるからサポートしよう」ってそこまでいけたら、初めて意味が生まれるんじゃないかって思います。

とくに学習障害はそれが必要なものだと思います。
だから学習障害っていう視点から見たら、それを含んでいる発達障害という、大きな括りを表す言葉は、やっぱり必要なんじゃないかなって思いました。

もし変わっていくとしたら、
みんなの「障害」という言葉に対する勝手なマイナスのイメージを変えるか、
「障害」という言葉を使わずにそれらを表す言葉を新しく作るか、
そのどっちかじゃないでしょうか。
私は前者の方向になっていったら良いんじゃないかなーって思います。
だって勝手なイメージのせいでその言葉自体を無くしたら、言葉が可哀想じゃないですか。

前回の投稿でも書きましたが、
言葉は自己と他者を理解するためにあるんだなあって、しみじみと感じています。

そしてとくに学習障害っていう言葉は、
学校やフリースクールなどで子どもたちと関わる人たちに知って欲しいなって思います。

漫画リエゾンを読んだことをきっかけに、「発達障害」という言葉について、今私が思うことを3回に分けて書いてきました。
1度ここでこのシリーズは終わりますが、また「あー!書き忘れたー!」って思い出して書くかもしれません笑

次回からは何を書こうか
またふと思い立ったことを書いてみます。
ぜひまた読みに来てください。

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