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【2-34】手間と時間と一生と(~591日目)

手間をかけること

姫胡桃の実が落ちている。
実の部分を足で踏んづけると、中から胡桃の種が出てくる。
この種の中の核の部分を食べるわけである。
普段は、食べられる部分だけになっているものしか目にしてこなかったけど、せっかく落ちている山の恵みを頂いてみることにした。

くるみのみ
果実を剥く

実を拾い集めて、種の部分を持ち帰る。
周りの果肉の部分を使い古しの歯ブラシで綺麗に洗い落として、乾燥させる。

手間〜かかる〜

近所のおじさんが教えてくれるには、ここでちゃんと乾燥させないと、中の実が剥がしにくいんだとか。
12月くらいまでしっかり乾燥させたら、乾燥した殻ごと水につけてから、鍋に入れて乾煎りする。
そうすると、殻の真ん中にぱかっとヒビが入って中から可食部が取り出せるというわけ。

口に入るまでには、まだ時間がかかるけど、とにもかくにも洗って乾燥させる作業。
ふるい歯ブラシを使ってちまちまと洗っていく。
嫌いな家事不動のナンバーワンは皿洗いなのだけど、こういうちまちまと手間のかかる事は、夢中になってやれる。
ただし終わった後は、腰割れそうになるので、もう二度とやらない!と思うんだけど、美味しかったらまた来年胡桃の木の下で実が落ちるのを待ち構えちゃうんだろうな…。

山の恵みは、食べるまでに手間や時間がかかるものも多くて、タイパもコスパも悪いかもしれない。
でも、自分の時間を使って働いて得たお金で、簡単に手に入るものや時間が短縮できることにお金を払って、そうして得た時間を私は何に使っていたんだろうな~と、ふと思ったりする。

生きることそのものが楽しみで趣味のように暮らしていけたら、そこで使う時間は無駄な事にはならないだろう。
暮らしていくためにはどうしてもお金が必要なので、理想と現実の狭間でギリギリと歯ぎしりしながら生きているわけなんだが…ね。

芋掘り体験

協力隊OBの企画した芋掘り体験のお手伝いに。
旅行に来ていた二人組が、楽しそうに掘ってくれていて、見ていたこちらまで嬉しくなったし、もっと話したかったな~などと思いつつ。

自分で掘るんかい!!

参加者が少なかったので、自分でも掘りたくなってしまい、参加費を支払って6キロ分収穫。
今年は、自分の畑で収穫できた分だけでは、掘りたい欲求が不満のままで、近所の人の畑やら、芋掘り体験やら、あちこちで芋掘りまくって、大量のさつまいもを手に入れた。どうする、さつまいも…。

干す!

さつまいもが欲しいというよりは、掘りたいのだ。
私は、掘りたいのだ!!!(ぜえぜえ)
来年は、自分の畑で芋掘り欲求を満足させられるくらい育ててやるんだ!!

芋餅にしたり、干し芋にしたり、ポタージュにしたり、形を変えて芋料理満喫しているけれど多分に漏れず、なにかこう、身体がですね、めっちゃ発するんですよ。芋の声を…。

芋餅

ちなみに、紅はるかという品種、シルクスイートにも匹敵するねっとり感と甘さらしいので、来年はこの品種にチャレンジしてみたい。
保存した芋から芽が出たら、それも植えてみよう。
今年の収穫が終わったばかりなのに、来年にやりたいことがたくさんあって、あっという間に時間が過ぎて行ってしまうのだよなと。

家族の話

ちょっと番外編で家族の話を。
父が80歳になりまして。
時間が過ぎる速さは、歳を重ねるごとにどんどんあっという間に感じるようになるもので、小学生の頃は、午前中があんなに長くて、給食の時間までにできることが山ほどあったのに…って話はさておき。

ワケあって、というより、実は誰でもそれぞれワケがあるんだと思うんだけど、私は子どもの頃、恐らく小学校低学年の頃からだったか、あまり記憶は定かではないけれど、それはそれはひどく父親に対して反抗していまして。
それは、高校を卒業して実家を出るまで続き、同じ部屋に父親と二人きりになることは絶対になくて、ましてや家族の仲介もなく父親と口をきくなんてことは、奇跡に近いくらい無い状態だったんですよ。

自分の中ではちゃんとそうする「ワケ」があるんだけど、いつの間にか百零で、廊下をすれ違う事さえしないレベルの、極端な感じになっていって、自分でもどうしていいかもわからず、結局そんな風に思春期を過ごしてしまったんです。
大学生になって、実家を出て一人暮らしを始めて、物理的な距離ができてから、恐らく自分も色々な整理がついてきて、特に話をすることもないけれど、逃げ回る事もないくらいの存在になってきて。
随分時間がかかってしまったけれど、紆余曲折を経て、今では普通におしゃべりをできるような関係になったんですよ。

そこら辺の野良猫よりもタチが悪い。
めったに近寄ってこず、懐きもぜず、下手すりゃいつも牙を剥いていつ噛みついてくるかもわからず、何もしていないのに、ガルガルと威嚇しまくっているっていうのに、ちゃんと飯を食わせて、学校に通わせてって、なかなかできることじゃない。
それなのに、まるで自分で大きくなったような顔をして、さもさも偉そうに一人で生きているみたいな顔をしているんだから。

そんなわけで、妹と一緒に記念品をプレゼントしようではないかということになったんだけど、そこは残念ながら金銭感覚バグっている野良っちは、いつも懐事情が厳しいわけで、妹の「金はあるぞ!」っていうありがたい言葉に甘えまくる始末。

私もお金はなくても、自分にできることをしたくて、子どもの頃、父親が時々買ってきてくれたケーキ屋さんのケーキを買いに行くことにしたんです。
そこは、千葉県の勝田台にある「ヴァンローゼ」さんというケーキ屋さんで、今の実家に引っ越しをする前に住んでた場所が近かったんだと思うけど、本当にめっちゃくちゃ美味しいケーキ屋さんで。
引っ越しした後も、仕事で近くに行った時に買ってきてくれたんだと思うけど、時々この店のケーキが我が家にもたらされていたのです。
当時の絶賛大反抗期中の私も、ケーキは美味しいわけでして。
紅茶ひとつ入れるのも、なんだか緊張感あって、今考えれば父親もそこまで文句を言ったり怒ったりしているわけでもないけど、私としては何かピリついていて、それでもケーキは美味しかったんだよな。

あれから30年以上たっていて、ケーキ屋さんはまだあるかな、同じ商品はあるかなと思いながら問い合わせをしたら、息子さんが引き継いているものの、あの懐かしく美味しいアップルパイは同じ形で残っていて。
美しく宝石みたいなケーキがたくさん並んでいて、それを迷いながら選んでいるときに、ふともしかしたら父親もこんな気持ちでケーキを眺めていたのかもしれないな~なんて、恐らく今の私と同じくらいの年齢だったであろう父親の面影をショーケースに感じたわけです。

宝石箱じゃー

ひとつの店を長く続けるのってすごく大変な事だけど、こんな風に線で繋がっていく人もいて、私もそんな仕事ができたらいいな~と、長く丁寧に食べてもらえるものを採り続けていきたいなと思って、なんとなく家族の話をしてみましたとさ。

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