Hisa

[いろいろ知識のそれぞれを生かすgeneralist] “thread and yar…

Hisa

[いろいろ知識のそれぞれを生かすgeneralist] “thread and yarn” 縫う 刺す 繋がる 編む 暮らす 歩く 食べる つくる 撮る 書く ハンドメイド

最近の記事

思い出の上書き

自慢ではないが、友だちは少ない方だと思う。 人見知りだったり、自分表現が下手だったり、相手に踏み込むのが好きじゃなかったりするせいか、途中でめんどくさくなってしまう。 それでも、30年以上の付き合いの大切な友がいてくれる。 「イカは博多か呼子で食べたいなぁ」と友人が言う。 スーパーで買ってきたイカは長崎産のラベル、どうしても期待してしまったらしい。 新鮮な歯ごたえ、なんとも言えない口の中でまとわりつく甘さ… 「白いイカはやっぱりダメだった。」悔しそうに笑う。 透明感の

    • あきのそらノスタルジー

      仕事帰り、『おっつかれさま〜』と少しラフに金曜日らしい声で電話をした。 リモート中の相手はまだ仕事中らしく『なんだよ、軽いなぁ〜』とケラケラ。 場は明るく軽いくらいが良い。 30年ぶりの再会からもうすぐ3年になる。あの頃もその軽さを親愛をもっていじってくれていた。 忘れられないことには意味がある。 ゆっくりと話すことばに同じタイミングで同じように心が動くことを感じる。 きょうも明日も。

      • あたしの家のはなし7(終)

        姉の夫と養子縁組をした2カ月後、母は亡くなりました。 母からその話を聞いたのは、母の亡くなる10日前、父の初盆のために帰省した時のことです。 母はやせ細り、30kgになっていました。 13年経ち、放置していた相続の手続きを催促したところ、 税理士ではなく弁護士からの連絡、母の書いた遺言まで今見つかったと。 母の書いたものかもしれませんが、日ごろの文字とは異なり、 誰かの意図の元書かれたようなもので悲しくなりました。 自分の思うようにしたいときにずるがしこく、脅すように口

        • 6月は晴れた空と夕焼けと

          「力を貸して」とはなかなか言えないのに「力をかす」ことは趣味のように好きで、似合っていると思っている。 すっかり7月に入ってだいぶ経ちましたが、6月のことを忘れないように。 優しく温かい彼女のつくる食べ物もお菓子もお茶もそのままの人柄に溢れる。 目の前にいる人を笑顔に、温かい気持ちにすることの大切さをわたしは改めて彼女から学んだ6月でした。 目の前の人を焦らせないこと、がっかりさせないこと、そのためには目の前の人の思いを察知して、傾きそうになったら支える言葉や態度、眼

        思い出の上書き

          葡萄の花 その2(たぶん蕾?)

          葡萄の花 その2(たぶん蕾?)

          葡萄の花

          葡萄の花

          あたしの家のはなし(6)

          2人きょうだい、姉とあたし。 もう5年くらい前に一度手相を見てもらったことがある。生命線とかの手のシワを見る手相ではなく、手をかざしてセッションをするように、エネルギーを感じるタイプのもので、わたしは物事がわかってしまうと言われた。 賢いというのとは少し違って、本心のような本当の考え、思いがわかってしまうと。 例えば、お世辞や過剰なハイテンションには、何か下心や企みがある?と感じてしまったり、こういう風にしたくてこうする、と見えてしまうそうだ。 まんざら遠くはない。 姉

          あたしの家のはなし(6)

          +4

          実は、「空也の最中」を自分で買うのは初めて。歴史、伝統、佇まい、声、空気…全てが空也の最中なのだと感動。

          実は、「空也の最中」を自分で買うのは初めて。歴史、伝統、佇まい、声、空気…全てが空也の最中なのだと感動。

          +4

          あたしの家のはなし(5)

          さて、こうやって書きつつ、決してマイナスな方向へいきたいわけではない。 むしろ、そっちに引っ張ろうとする力をうまくかわして明るく元気でいたいと思う。 相続と言うのはとても不公平で、黙ってこっそり上手くやった人の大きな声の主張が通る。 そもそも、普通の人間はそこまで考えないから、周到な人には到底敵わない。 父は何年か入院したりしながら、母と同じ歳の2月に、母は8月に亡くなった。 姉夫婦は父が亡くなったあと、母の生活を監視するような勢いで関わり、身内の誰にも言わず、母に印鑑

          あたしの家のはなし(5)

          あたしの家のはなし(4)

          今は築120年ほどになっている実家の母家は、わたしの祖父(明治30年・1897年生)が3歳だった頃に建ったそうだ。 100坪を超える、大きさだ。 昔の家なので畳の間がずっと続いていて、縁側様の外廊下が囲っていた。 8畳、10畳、6畳、6畳、8畳、10畳、6畳、4畳半それにくど(竈門)のある炊事場。 小さい頃は叩きの土間だった記憶があるが、物心ついてからは、その土間に床を貼るように改装し、DKスタイルになり、葫蘆に花柄をあしらった流しの扉がちょっとハイカラで子ども心にとても嬉

          あたしの家のはなし(4)

          あたしの家のはなし(3)

          父は昭和ひと桁、戦争前のまだ裕福な地主時代の長子、長男、その時代の「惣領息子」として育つことになります。 当時は戦前、明治時代に作られた田畑永代売買禁止令に基づく地主制度の時代、小作人が田畑を耕し、育てた作物を地主へ収めていた。 地主はその一帯の土地の所有者である。 いま思えば、あの実家では人を上下として捉える物言いが多かったように思う。 無論、記憶の父もそう言う話し方をすることがあった。 小作人や親戚内でも大切にに育てられた父は、予科練(海軍飛行予科練習生)へ入るほど戦

          あたしの家のはなし(3)

          あたしの家のはなし(2)

          そんな家であたしが生まれたのは、1回目の東京オリンピックの年の春、自分で言うのもなんですが、とても賢い子ども時代だったと記憶しています。 父は名目上8人兄弟の長男となっていますが、正確には9人兄弟の次男です。 実は祖父は結婚前23歳の時に大恋愛をし、お嫁さんにはならなかった(なれなかった)女性との間に正しい長男が生まれていたのです。 父よりも9歳上です。 その長男を、祖父は自分の籍に迎え入れてはおりましたが、長男は実母の元で成人まで育てられ、生業も実母の嫁ぎ先に助けられてい

          あたしの家のはなし(2)

          あたしの家のはなし(1)

          祖父母、両親、姉とわたし。 1000mの山を望む盆地のような地形、農家も多く果樹栽培も盛んないなか町に育ちました。 祖父は元数学の先生でしたし、農地解放前の戦前は地主として小作を雇っていたらしく、母屋は100坪を超える大きな家でした。 祖母は学業の神様で有名な隣県の大地主から嫁いできた奥さまでしたが、母が嫁いできたのは戦後、10年ちょっと経ったまだまだ貧しい時代のことで慣れない農家を支えていました。 昭和30年代、母は結婚して間もなく男の子を出産しました。 しかし、悲し

          あたしの家のはなし(1)

          【お花見弁当 2021🌸】

          60分の昼休み、5分歩いた公園。お花見のためにこのお弁当をつくった。 お気に入りの漆塗りのめんぱに美味しいご飯を詰めてみた。 何を好きか、何を選ぶかと言うことは、すなわちその人をあらわす…とは、白洲正子さんの「その器はあなたです」という言葉の意味だそうです。 お弁当にそんな気持ちを感じた、と、お花見をご一緒したねーさんがお礼の文章を綴ってくださった。 ひとつひとつ(野菜やらの材料、お弁当箱など)が選ばれたものであること、その選んだ気持ちがこもっていること、それが美味しい

          【お花見弁当 2021🌸】

          急須でお茶を

          実家の茶畑が新芽で覆われる春、一番高いところから茶畑越しに地元の404mの山を眺める景色が好きだった。 祖母は、来客があるとゆっくりと湯を沸かし、急須に茶葉を入れ、湯冷しでゆっくりと湯をさまし、急須を愛でるようにお茶を淹れながらなんともない話をした。 みな、美味しいと召し上がりながら、またなんともない話しを続けた。 お茶淹れの間は、どこか静かで、あまり喋らない時間が流れる。程よい緊張の中で急須からお湯呑へ注いで、どうぞ、とお客人の前にお茶請けとともにお出しする、同じ間を、

          急須でお茶を

          電鍋風景

          電鍋風景