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あたしの家のはなし(4)

今は築120年ほどになっている実家の母家は、わたしの祖父(明治30年・1897年生)が3歳だった頃に建ったそうだ。
100坪を超える、大きさだ。

昔の家なので畳の間がずっと続いていて、縁側様の外廊下が囲っていた。
8畳、10畳、6畳、6畳、8畳、10畳、6畳、4畳半それにくど(竈門)のある炊事場。
小さい頃は叩きの土間だった記憶があるが、物心ついてからは、その土間に床を貼るように改装し、DKスタイルになり、葫蘆に花柄をあしらった流しの扉がちょっとハイカラで子ども心にとても嬉しく自満したい気持ちがいつもあった。

明治の造りなので、純和風、父が改装する前は屋根は黒瓦、立派な入母屋造り、大きな大黒柱や天井の立派な梁は重々しさを醸していた。
しかし、壁は竹で組んだ芯に土、屋根も同様で重い瓦のせいで経年劣化により何ヵ所も雨漏りが始まったり、耐久性としてはギリギリ。
父の頃には必要に迫られての補強、壁はベニヤの合板を被せ、屋根は補強し瓦替え、入母屋の屋根から切妻造りとなりちょっと外観はライトになって残念だった。

一枚板の縁側、額入り障子、床の間は2間、書院欄間、書院障子、床柱を挟んで違棚もあった。
座敷と仏間のさかいには畳一畳分の立派な欄間が2枚、そのほか今では貴重なものが溢れるいえでした。
夏はとても涼しく快適、冬は家の中でも息が白くなり、今の暮らしからは考えられないほど、よく耐えたと思う。

両親が亡くなって15年ほど、ずっと帰っていない。

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