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私のnoteを読まないあなたに、結婚10年目だから手紙を書こうか

11月に、結婚して丸10年になる。

夫と入籍したのは、2009年の11月大安吉日。翌年から海外移住を決めていた私たちは、有給をとって平日の市役所に婚姻届けをだした。その足で東京タワーに向かい、ラグビーワールドカップのためのイベントに参加したのを覚えている。

東京タワーの足元に、大きなラグビーボールの形をしたドームが設置されていた。中は360度スクリーンになっていて、ニュージーランドの空と大自然が映し出される。芝生の緑を想像しながら、ああ、ここで一緒に暮らすんだなあと、隣の夫となった人と手をつないだ。

10年も経つと、色々変わる。

結婚して4年間は、海外移住の土台を固めるため、夫と二人でキャッキャウフフと暮らしていた。関係性がガラリと変化したのは、娘を産んでから。そこから4年ほどは、破壊と創造と嵐の日々で、平たく言うとよく喧嘩をした。

喧嘩の頻度は四半期に1回ぐらい。人によっては、「多くない」と思うかもしれない。でも、喧嘩のたびに互いに鬱積したストレスをぶつけ合い泣いた。涙のあとに固まる絆もあれば、擦り減る想いもあり、あの時期を思い返すと「疲れたな」以外の感想が出てこない。

夫は、「普通」に育児も家事もした。立ち合い出産からはじまり、3週間の育休中は炊事洗濯掃除を一手に引き受け、オムツ変えや寝かしつけだって私と同じようにやって、親になっていった。

娘が生まれて3か月の頃、夫が店を買ってきた。

「豆腐を買ってきた」みたいなテンションで書いたけど、実際は弁護士や税理士とのやりとりなど、数か月にわたる検討が背景にある。娘のお世話で手一杯、常にぼんやりした頭の私には、「なんか夫が買ってきた」みたいに思えた。

自営業というのは頑張って成功した分だけペイされる。同時に資金的にかつかつになることも少なくない。なにより「やるべきこと」リストが終わらない。

日常を浸食していく。夫は週7で働いている。私も店に出たり、不安定な家計を助けるために外で働いたりする。さあ、生活はどうなる。

容量一杯のストレスは、些細なことで弾け散る。覚えている大喧嘩の理由が「お弁当のブロッコリーが固い」「水回りが汚い」だ。そんなんで喧嘩するなよと言いたいが、それは単なる引き金にしかすぎなくて、それだけ二人ともギリギリだったということ。

タイムマシンがあれば、作り置きおかずをタッパーにつめて、部屋中の掃除をして小さな娘と遊び、疲れ切った夫と私を寝かせてあげたい。


あの4年間を思うと、この2年は大変平和だ。店は売却した。娘の物理的な子育てハードモードは一旦落ち着いたし、私は書く仕事ができて楽しい。

結婚10年。隣にいる夫を見て思う。夫よ、あなたはいま幸せですか、と。

パートナーとして共に人生を歩いていくなら、互いに尊敬して応援し合える関係が理想だと思う。ただ、現実は口でいうほど簡単ではない。

私がライターの仕事をはじめようと決意したとき、我々は夫婦そろって無職だった。店を売ったあと、つかの間の充電期間。一息はつけたけど、生活のために明日の仕事を探さなければいけない。

ライターの仕事は正直言って未知数だ。月にいくら稼げるのか。数万円の稼ぎにしかならないのなら、地元のお店でアルバイトしたほうがよっぽど家計の助けになる。

でも、私は書く仕事がしたかった。

話し合いの結果、私が不安定をとることを、夫は同意した。そして彼は、安定性の高いカフェのシェフ仕事に就いた。

パートナーの挑戦を応援する。それは「美談」で、対等な関係性なら「当然」だとも語られる。ネットの世界では、夫の希望する転職先をブロックする妻はひどい奴だし、妻が思いっきり働きたいと願う背中を押せない夫は悪者である。

でも、応援するって、当たり前のことなんかじゃない。少なくとも、私はできなかった。

夫が店を買ってきたとき。あれは、料理人としての彼の一つのチャレンジだった。もちろん、その他にも理由は色々あったのだけれど、挑戦するという行動を彼がやりたかったのは間違いない。

私も手伝った。でも、正直不満もいっぱいだった。「なんで週7で働いてるの? もっと家にいてよ!」と心のなかで叫んだ回数は数えきれない。

乳幼児を抱えて、海外で頼れる親もいなくて、友達も少なくて。たぶん、あの頃の私を責める人は一人もいないと思う。

互いに頑張っていて、擦り切れていた。繁忙期の夫は0時に帰宅して早朝6時に家を出た。それは、私が一人で家事と、娘の相手をすることとセットだ。

誰も責めない。でも、いまの私は少しだけ後悔している。ほんのもうちょっと、大変でも、本心で夫の頑張りを応援できたらよかったのにって。

好きだと思える仕事を続けて、背中をパートナーに押してもらえる喜びと、仕事の楽しさも辛さも理解されない寂しさを、想像して、思う。

夫は私のnoteを読んでいない。恥ずかしいので、「読んではならぬ」と伝えてある。

なんで私は夫にnoteを読まれたくないのかを考えたとき、出てきた答えは「嫌われたくないから」だった。その「嫌われたくない」は、他人から嫌われる恐怖とは異なったもので、どちらかと言えば「完全に私を受入れてほしい」欲求と似ている。

だから夫は私のnoteを読まなくていい。かわりに、noteに書かない話を彼とする。

10年一緒にいたって、そのときそのとき、話さないとわからないことだらけだ。完全に他人を受入れるなんて、互いにできっこない気がする。でも、弱い部分も許せれば、この先の10年、まだまだ必要な存在でいられるんじゃないかと、ひとり私は考えている。


夫婦だから。夢を応援するなんて、口にするより現実に行動するほうが100倍難しい。健康も金銭的な余裕も子育ての不安も。色んなもののバランスが整って、やっと叶うことだったりする。

もし、この先また夫が「なにかしたい」と願いを見つけたら、そのときは、少しでも応援できる力を持っていたいと思う。それが難しくても、うんうんと、彼の望みを聞ける自分でありたい。


このnoteを書いたのは、結婚10年目だから。夫に手紙を書くことを忘れずにいようと、覚えておくために書いた。そうしないと、日常のあわただしさにあっという間に忘れてしまうから。

手紙には、noteとはまったく違うことを書くのだけれど。反応の薄い彼だから、喜ぶかどうかもわからないな。


結婚して10年たって、ときめきって何だっけって思う。ただ、相手の幸せを願うこの気持ちは、できれば愛と呼びたい。

家族3人で食卓を囲みながら笑っている夕飯どきに。夫と小さな娘が手をつないで歩く後ろ姿を眺める公園で。一瞬、泣きたくなったりする。そんなことを話しても、あなたは「年のせいだよ」ってきっと笑うのだろうけど。


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