花のなまえを呼ぶように
花の名前を持って生まれた。
35年前の3月のこと。春だというのに粉雪が舞う寒空の下、母が産み落としたのは二つの命だった。
互いに、2000gに満たないちいさな双子。3分遅れで生まれた妹は予定通りに退院したが、もっと小さいあなたは1か月保育器の中だったのよと、母からよく聞かされた。
祖父母は遠方で、3つ違いの兄がおり、病院にはタクシーを利用する距離で、生まれたばかりの双子は泣いてばかりいる。
田舎からおばあちゃんを呼び寄せたのよ、とか、まだ幼稚園に入っていなかった兄がチックになったんだわ、とか、寝ないあなたをおんぶして夜中にあの角まで歩いたのよ、とか、どれも「赤子」というものを知らない私は「ふうん」と頷くだけだった。
いまならその話を聞いただけで、裏側にある途方もない時間と感情に、涙する。だから、母が私と妹に、花の名前を付けた理由がよくわかる、と言える。
「産むのがねぇ、あんまりも大変だったから。聴くだけで、気持ちがパッと明るくなる名前をつけようと思ったの」
春に花開く名前をつけられた、同じ日に生まれた私と妹。どちらともなく「それ」が似合っているように思えた。
*
遠い遠い空の下、この国の3月は春ではない。
私の名前の花は、9月に咲く。海のむこうの、青い空に白く輝く一面の色を思い出すと、やはりこの地の春は少し物足りない。
35年経って、母とは疎遠になった。距離を置いているという言い方が正しい。ずいぶんと、彼女が呼ぶ花の名を聞いていない。
私の母に対する気持ちがどんなものであれ、この名が好きだという想いとは別物だ。
お腹の子が女の子だとわかったとき、花の名をつけたいと思った。この国では8月の寒い冬。あちらの国では太陽が照りつける夏にちなんだ花の名を。
さんざん悩んで、生まれて2週間たっても決まらず、「赤ちゃん」と呼びかけるなかで見つけたその名前は、この国で話す言葉と私たちの故郷の言葉と、響きが同じだった。
青空にむかって、のびのびと鮮やかに咲くあの花のように健やかに
花の名前に願いを込める。最初で最後のお守りを渡すように。
*
君がどこにいっても、名前の響きは変わらない。海を渡り空を越えて、いつだって、花の名を呼ぶ人に巡り合える。
離れていく日は決まっている。その日を望んで、小さな手をいまつなぐ。
親だからって、出過ぎたことなんて言えない。ただ、好きでいてくれるといいなと思う。
遠い遠い場所にいても、花のなまえを呼ぶように、君の名前を呼ぶ声を。
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