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お弁当箱の概念がうすい会社で1年はたらいた話

ニュージーランド(NZ)に住んで、もうすぐ10年になる。私はいま、フリーのライターとして日本と仕事をしているが、いっとき現地NZ企業で働いていた。

数年前、子どもが生まれ「お金が必要だ!」と焦った私は仕事欲しさにCV(履歴書)を手当たり次第送付した。たまたま当たったのが、100人超えの従業員を有するそこそこの地元企業。

経理として、週4日・8時半から2時半の合計24時間勤務。ニュージーランドは、パートタイム社員にも、有給・病欠・残業その他諸々の労働条件が正社員同様に適応される。時給も申し分ない。2歳児を育てていた私は、万歳三唱でそのオファーを快諾した。

契約書にサインしてから気がついた。会社の名前に、「Debt Collection Agency(デット コレクション エージェンシー)」と書かれている。

Debtは債務とか借金とかいう意味だ。Collectionは集める。そう、私が初めて働いた現地企業は、債権回収代行会社だった。

債権回収ときくと、オラオラとサングラスをかけた柄のわるいヤのつく人が思い浮かぶかもしれない。安心してほしい。私が働いていた会社は、めちゃくちゃホワイト

そもそも債権回収代行業務は、海外では珍しいことではない。回収不能となった、住宅ローン、クレジットカード代金、電話料金、公共料金等を代わりに取り立て、必要であれば法的手段もとるサービスが普及している。

大半の社員は、コレクターだ。支払いが滞った相手に電話をかける。パッと見はほぼコールセンター。信用調査や法務を専門にあつかうチームもいる。

私が所属していたのは経理チーム。社内の経費精算をしたり、回収した入金データと社内システムを突き合わせたり、山のように送られてくる請求書の数字を会計システムに打ち込んだりした。

じつに平和なお仕事だ。

ときたますれ違う社長だって、見た目は『オーシャンズ11』のジョージ・クルーニーみたいな無駄にダンディズム漂う中年男性だったけど、年に1回のクリスマス・ランチではエプロンをつけて昼間からソーセージを焼くフレンドリーさを発揮していた。

唯一の例外として、ガラス張りの部屋で常に難しい顔をして座っている副社長・セバンスチャンは、ロシア映画に出てくる殺し屋みたいな鋭い眼光をしてたけれど、机の上には2歳と4歳のキュートな子どもたちの写真を飾っていたのでけっして悪い人ではなかったと思う。

ちなみに、この二人は本筋にはまったく関係ない。

ジョージとセバンスチャンを見かけるたびに「映画の世界……」と思いながら働いていた私は、ある日違和感に気がついた。

会社には、給湯室がある。東京の狭いワンルームなら入りそうな広さで、ちゃんとしたキッチンがついている。ベランダでバーベキュー大会をするくらいの会社だから、皿もコップも調理器具も一通りある。もちろん冷蔵庫も。

ある朝出勤し、コーヒーをいれに給湯室へ向かうと、女性社員がトースターでパンを焼いていた。出勤途中にカフェで買ってきました、みたいな丸いおしゃれパンではなくて、スーパーで売られているサンドイッチ用のやっすい食パンである。

こんがりと焼かれたパンに、冷蔵庫からバターを出し、鼻歌を歌いながら塗り始める女性。

それは、普通に朝ごはんでは???

お皿にバターをたっぷりつけたトーストを2枚乗せると、彼女は意気揚々と自席に戻っていった。

就業時間に食パンをかじっているのも驚きだったけれど、わざわざお皿を用意するのが意外だった。お皿といっても、パスタ皿ぐらいある。わりと大きな代物を、デスクにおくなんて邪魔だろう。

なんで皿、と思いながらも、違和感はコーヒーの匂いにかき消された。

それからというもの、ランチタイムに皿を使う社員が目に入るようになった。

いや、お皿は常備されているから、使っていいのである。でも、タッパーに白米とおかずをつめて持ってきている日本人の私の感覚からすると、「え、そこでもお皿つかうの?」みたいな場面にしょっちゅう出くわした。

コールセンターのスーパーバイザーであるロブは、私が入金記録の反映をミスっても1ミリも怒らない良い人だ。

彼のランチは1階のサブウェイか隣の寿司屋と決まっている。サブウェイの日は、白い袋をガサガサと給湯室にもってくると、お皿を取り出しミートボールサンドをのせ、おいしそうにかぶりついていた。

たしかにサブウェイのパンは野菜がぽろぽろ落ちる。でも、包装紙に包まれているのに、わざわざお皿をつかう……?

ロブだけじゃない。信用調査チームのナンシーは、給湯室で会うとニッコリと笑ってくれるマダム。あるときのランチタイム、ナンシーは冷蔵庫からタッパーを取り出した。タッパーのパスタを、スプーンで用意していたお皿にのせる。半分残ったパスタは、タッパーのまま再び冷蔵庫へ。お皿のパスタは電子レンジへ。

まさかの作り置きランチ……!

冷蔵庫があるので、たしかにランチをタッパーにいれて保管しても問題はない。ナンシー、賢いなと思ってしまった。

お皿で衝撃を受けたといえば、経理チームのマネージャー・サムだ。中年太りを医者から指摘されている彼は、ワイフの指示で弁当を持参している。ある夏の日、サムは保冷ボックスをぶら下げて給湯室のほうへ歩いて行った。きっと、あの中にお弁当が入っているんだな。

数分後、サムは片手にコーヒー、片手にお皿を抱えて戻ってきた。お皿の上には、クラッカー・チーズ・アボカドが載っている。

おしゃれかよ……!

お皿の上で繰り広げられるランチタイムは、弁当箱文化で育った私にとって、なかなか新鮮だった。

なんで「お弁当箱」を使わないのだろう。

お皿が優先される世界。それは、私が知っているランチタイムとは異なるものだ。日本で働いた数年間、給湯室にお皿は数枚あったけれど、こんなに活躍していなかった。

ニュージーランドにもお弁当箱はある。星野源と新垣結衣で一世を風靡したドラマ『逃げ恥』に登場したお弁当箱・sistema(システマ)は、ニュージーランドの企業である。

この国の小学生の4割は、システマのお弁当箱を学校に持っていくのだ(私調べ)。

でも、私がいた債権回収代行会社では、お皿>>>システマだった。

これは、みんな「お皿が大好き」というより、もしかしたら「ランチはお弁当箱」という概念が薄いのではないか? 

サブウェイのサンドイッチも、お皿があるほうが食べやすい。タッパーで食べるパスタよりお皿で食べたい。クラッカーだって、お皿にもればオシャレに。

そこにお皿を使うべきというルールが存在するわけでもない。現に、タッパーでお弁当を食べる社員もいるのである。私だって、タッパーに詰めた残り物を電子レンジで温めてそのまま食べていたが、奇異な視線を送ってくる人はいなかった。(心のなかで、どう思っていたかはわからないけど)

そこにあるのは、お皿を使いたいから使うという、シンプルな考えだ。

私の当たり前は、世界のどこかでは当たり前ではなくなる。

お弁当箱の概念が薄い会社で働きながら、そんなことを考えていた。

ここで言いたいのは、「お皿を使う大らかさが素敵」ではない。私は、日本のお弁当箱はもはや文化だと思っている。毎日のお弁当作りが大変だと嘆く親の苦労は見聞きするが、あそこまで昇華している弁当文化は日本独自といってもいい。

彩りにこだわり、栄養バランスを考え、腐敗を気にし、隙間のないように詰める。いくつものお弁当レシピ本が作られ、「お弁当をきれいにつくる」ことは一つの技術になっている。

日本で暮らしていたら、「お弁当が文化だ」なんて思わなかっただろう。お弁当箱を使わずに、お皿を優先する生活を垣間見たからこそ、場所が変われば「当たり前」は「独自さ」に変わるのだと気づいた。お弁当作りに力を注ぐ国もあれば、ゆるくお皿を使う国もあるのだ。


海外に住んでいると、自分の中に出来上がった価値観に照らし合わせて、くっきりと浮かびかがる「違い」を目にすることがある。その「違い」が、無条件で素晴らしいなんてことはない。ただ、世界のどこかには、いま私の目に映る見え方とは、違う見え方をする人や場所があるのだと知る。

そこでは、私の「きゅうくつ」は消えるかもしれない。いま心にある「さみしい」を感じないかもしれない。知らなかった違いを発見して、自分が息のしやすい場所を見つけたり、心動かされたりすることが、「おもしろい」ってことなのではないかと思う。

お弁当箱の概念が絶対ではないランチタイムを過ごすのは、楽しかった。

残念ながら社内の体制変更により、私のパートタイムポジションは消えてなくなり勤務は1年で終わった。でも、決算時期をまたいでいたから退職後にちゃんとボーナスが振り込まれていた。やっぱり、超ホワイトな会社だったな。

(おしまい)

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