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躁鬱になったきっかけ

18歳ーーー国公立大学受験失敗
この時、人生が崩れる音がした。
高校は県内でもトップ3に入る高校に通っていた。
まあ、その高校の中の底辺にいたのだが。

高校時代のおかしな生活の話はまた今度…

大学は国公立、若しくは、有名私立しか人権がない
そう思っていた。
当時、専門学校に進学した先輩を嘲笑していたほどに。

そんな私は「学歴」に縛られて大学受験失敗と共に心が死んだ。
志望していた学部は看護学部。
正直学校の名前はどうでもよくて、国家資格が取れれば問題ない学部だと考えていたので、国内でトップクラスに学費が安い私立大学に通うことにした。

所謂Fランの学生たちの頭の悪さに驚愕し、この人たちと同じレベルなのだと考えてどんどん精神がおかしくなった。
今思えばそんなことで?と思う。

気がつけば気を紛らわせるようにウイスキーの小瓶をクッと飲んで授業を受けていた。
元々朝起きるのが苦手だったため、1限はかなり遅刻した。
そんなことをしていたら、教授に目をつけられてしまい私だけ圧力をかけられるような状況を作ってしまった。

耐えられなかった

勉強しかできない自分
人間の生活ができなかった

掃除、洗濯、皿洗い、早起き、スケジュール管理
なにもできなかった
友達を雇って部屋の掃除、朝のモーニングコール、提出物とテストのスケジュール管理をやってもらった

それでもできなかった
何もできない自分が情けなかった

頭の中に「しね」という言葉がどんどん浮かんできた
何度校舎から飛び降りようとしたか分からない
精神看護の教授に相談した

精神科に通え

その言葉に背を押され精神科に足を踏み入れた
「君は鬱だよ」
そう言われて抗うつ薬と睡眠薬を飲むようになった
少し楽になった

はずだったのに
気づいたらハイになっていた

突然休学を申し入れ、その次の日に地下アイドルのライブを見るためにグリーン車に乗って高崎から浜松まで行った。
ツインルームのホテルをとった
静岡観光を終えて、その足で名古屋へ向かった
名古屋でたくさんの買い物をして観光をして、その夜長野に行った。
なんとなくフラフラ遊んで、次の日には山梨の実家にいた。凄まじい勢いで両親と会話をし、もう帰る!と言って山梨から高崎へ帰宅。
あっという間の3日間だった。
いくらお金を使ったかなんて分からない。

18歳の秋
初めての躁転だった

それが躁鬱人生の始まり。


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