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【SPORTSMEN IN TOIN CAMPUS】廣川 充志編1

廣川 充志 桐蔭横浜大学専任講師
桐蔭横浜大学柔道部監督

「それでは、実際に採血をしてもらいましょう……。誰か代表してやってみたい人?」
科学系実習室に、廣川専任講師の柔らかみのある落ち着いた声が響く。
この日の「運動処方論」の講義は、桐蔭横浜大学の専任教員たちの授業参観日でもあった。
時にユーモアを交えた彼の穏やかな口調は最後まで変わることなく、講義の時間は楽しく充実したものになった。
参観した教員たちは、日頃から、廣川がきちんとした理論に裏付けられた指導を行っていることを、改めて認識することが出来た。

「決して上手くはないけれど、趣味は将棋とギターです」
新学期4月の新入生を前にした自己紹介の際に、廣川はちょっとはにかみながら、必ずこう切り出す。
講義の進め方が巧みというだけあって、フリートークの時の廣川の話も実に面白い。
中でも好まれるのは、彼がアメリカでスカイダイビングに初挑戦したときの話である。
現地のインストラクターの言っていることが全く理解できないまま、恐怖に怯えながらダイブしようとした時のことである。
「EBIZORI!エビゾリ!OK?」
インストラクターから上空で保つ姿勢のことだけを説明され、「パラシュートはどうやったら開くのか」という肝心なことはよく分からないまま、ヘリコプターから飛び出した体験談を、ジェスチャーを交えながら説明する様子は抱腹絶倒ものである。
廣川が病気克服のために食事制限をしていて、ほとんど菜食で通していた時代の話も面白い。
日に日に、元気もパワーもなくなって来たので、
「駄目だ!このままでは自分は柔道が出来なくなってしまう」
と意を決して、久しぶりに肉を咀嚼した途端に、体が細胞レベルでびっくりして「なんじゃ!こりゃ!」と喚いたそうである。
その話をジェスチャー付きで「太陽にほえろ」の松田優作のように語るので、「ジーパン刑事か!」とあちこちから突っ込まれるのだが、それにしても、廣川の話はユーモアがあって、何度でも聞きたくなる。

小学生を指導する廣川

そんないつも楽し気な廣川だが、にわかには想像しがたいことに、実は桐蔭横浜大学の柔道部の監督である。しかも、現役時代は81㎏級や90㎏級で活躍した柔道家で、正力杯こと正力松太郎杯国際学生柔道大会や実業個人選手権での優勝経験もある。
そして、2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、男子代表柔道チームで90㎏のコーチを務めた。

リオオリンピックのテレビの実況放送では、日本男子柔道界にオリンピック初の90㎏級金メダルをもたらしたベイカー茉秋選手に付き添う細身のスーツ姿の廣川がよく映っていた。
柔道のコーチと言えば、いかついジャージ姿で
「こうだよ!こう攻めろ!」
と大声で叫びながら、ジェスチャー交りで闘争心をむき出しにしてアドバイスを送るというイメージがある。
しかし、テレビに映る廣川はスーツ姿で、日頃キャンパスにいる時と同じように、終始、穏やかな佇まいだった。
90㎏級の金メダルを獲得したベイカー茉秋選手は、圧倒的な強さを発揮する一方で、怪我に苦しんで成績が振るわない時もあり、好不調の波が激しい選手という印象をもたれがちである。
リオ五輪でのベイカー選手は、良い方の目が出た。
試合当日は絶好調で、初戦となる二回戦で一本勝ちすると三回戦、準々決勝と連続合わせ技で一本勝ちをした。
準決勝では、試合終盤でポイントをリードされてしまい、冷や汗ものだったが、その直後に、寝技に持ち込み逆転勝ちをした。
決勝戦では一本勝ちとはならなかったが「有効」を奪い、初出場のオリンピックで見事、金メダルを獲得した。

しかし、実は、ベイカー選手はオリンピックイヤーの2016年に入ってからも、両肩を亜脱臼するというアクシデントに見舞われ、戦績も安定していなかった。
4月に開催された、国内のオリンピック選手選抜体重別決勝戦では準優勝止まりだったが、これまでの実績を考慮され日本代表に選出されている。
さらに、5月のワールドマスターズで優勝したものの、準々決勝で右肩を亜脱臼して、出場予定だった6月の優勝大会では欠場を余儀なくされていた。

また、ベイカー選手の高校時代の急成長ぶりを
「高校柔道というひとつの価値観に全く違う世界から突然舞い降りた異星人」※1
と評されたり、
「ベイカー茉秋、恐るべしですね。強豪が次から次へと破れましたが、彼が放つオーラがそうさせたのかもしれない。日本代表にとって新種の選手。人が持っていない柔軟性や力強さがあり、独特のやりにくさがあるでしょう」※2
と代表監督の井上康生が試合後に語ったりしていることからもわかるように、彼をコーチし、結果を出すのは大変そうである。

リオの前のロンドンオリンピックでは、史上初の金メダル無しという結果に終わった日本男子柔道界である。
立て直しを任された井上康生総監督の要請を受けて、廣川は鬼門と言われた90㎏級のコーチを引き受けることになった。
実は、廣川と井上康生の因縁は浅からぬものがある。
今だからこそ語れることもあるだろう。次回は廣川氏とのインタビューを交えて、この辺りのところを掘り下げてお届けしようと思っている。


※1 柔道サイト「eJudo’s EYE」(2012年7月22日)今夏、ベイカーを測る「モノサシ」は見つかるのか?より抜粋

※2 代表井上康生総監督、ベイカー茉秋選手についてのリオ五輪試合後のインタビューより

*この原稿は桐蔭横浜大学の協力を得て書かれています。
後日、まとめられて桐蔭横浜大学出版会より電子書籍として出版される予定です。

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