宮津大蔵

桐蔭横浜大学スポーツ健康政策学部教授。小学校国語科教科書の執筆、編集。教育書、児童書な…

宮津大蔵

桐蔭横浜大学スポーツ健康政策学部教授。小学校国語科教科書の執筆、編集。教育書、児童書などの執筆を行っていたが、2014年「ヅカメン! お父ちゃん達の宝塚」(廣済堂出版)で一般書も書き始める。

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遅れてきたGS(グループサウンズ)

プロローグ 2019年(平成31年)@武道館  今夜は、記念すべき還暦記念コンサートだ。 そして、舞台は東京ドームではなく、やはりここ武道館でなければならなかった。 「みんな、どうもありがとう。次はね、遥か昔の歌を歌うよ。もうすぐ平成も終わっちゃうけど、それよりも昔の曲だよ。みんな昭和って知っているかな?」 大歓声と共に、会場が笑いの渦に包み込まれる。時折、鋭い口笛も交じる。 「昭和生まれの人はー?」 さらなる大歓声が沸き起こり、一斉に手が挙がる。 「なんだよ。平成ももう

    • 遅れてきたGS(グループサウンズ)15 ~昭和グラフィティ~

      昭和41年(1966年)~@金沢 大和デパートの地下食料品売り場。 回るお菓子売り場の傍で明は目を輝かせていた。 「どれと、どれと、どれにしよう?」 彼はこのお菓子売り場の量り売りコーナーが大好きだった。 色とりどりのキャンディーやチョコレートが目の前を流れていくのに、つい目を奪われてしまう。 おとぎ話に出てくる「お菓子の家」があったら、実際に住んでみたいと思うくらい明はお菓子が大好きで、それは終生変わることはなかった。 この頃、特に好きだったのは「ウイスキーボンボン」。

      • 「遅れてきたGS(グループサウンズ)14 ~昭和グラフィティ~」

        昭和41年(1966年)~@金沢 「あーあー、プール入りたかったなぁ」 ため息をつく博臣の側で、明はどう返答してよいか迷っていた。 実は、明はプールには入りたくなかったのだ。 「海水パンツ一丁」(こういう言い方が明の周りでは一般的だった)で、こんな陽光の下にさらされるなんて、恥ずかしすぎると思っていた。 二人とも左肩にBCG接種の跡がくっきりと浮き出ていた。 BCG接種の事を、当時、「ハンコ注射」と呼んでいた。 「僕なんかプラスマイナスだったんだよ」 ツベルクリン反応の

        • 遅れてきたGS(グループサウンズ)13 ~昭和グラフィティ~

          昭和41年(1966年)~@金沢 「お母さん、ちょっとお買いものしてくるからね。ここで待っててね」 明の母親は近所の行きつけの喫茶店で、顔見知りのウエイトレスに 「すみません。よろしくお願いいたします」 と明のことを頼んで、自分だけ買い物に出かけた。 「はい。ごゆっくり」 愛想良く応じたそのウエイトレスは、 「アキちゃん、何にする?」 とにっこりと笑いかけた。男の子なのに髪をおかっぱにして愛くるしい明は、彼女のお気に入りなのだ。 明もすっかり慣れたもので 「レスカ下さい」

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          遅れてきたGS(グループサウンズ)12 ~昭和グラフィティ~

          昭和41年(1966年)@金沢 「アキはね、ランドセルは黄色がいいの」 明は泣きべそをかいていた。 ランドセルの色が「男の子は黒」と決まっているのが、どうしようもなく嫌だったのだ。 「ほら、交通安全のカバー、黄色だから」 母親がなぐさめてくれたが、そういう問題ではなかった。 続けて母親は 「せっかくお父さんがアキの入学のお祝いに買ってくれたんだから、そんな我儘言わないで」 と懇願するように言ったが、当の明は、普段、姿を見せない父親が買ってくれたランドセルということにも愉

          遅れてきたGS(グループサウンズ)12 ~昭和グラフィティ~

          遅れてきたGS(グループサウンズ)11 ~昭和グラフィティ~

          昭和40年(1965年)@金沢 由美も明も博臣の家で遊ぶのが楽しみだった。 二人とも口うるさい博臣の母親が苦手だったのだが、それでも彼の家に行きたかったのは、博臣の家には、小学館の雑誌「小学一年生」が揃っていたからである。 由美の家にも明の家にも「めばえ」、「よいこ」、「キンダーブック」など年齢相応の雑誌はあったのだが、教育熱心な博臣の家では、博臣が幼稚園の年長さんになるとすぐに「小学一年生」をとり始めていたのだ。(当時、定期購読のことをとよく「とる」と言っていた) 博臣

          遅れてきたGS(グループサウンズ)11 ~昭和グラフィティ~

          遅れてきたGS(グループサウンズ) 10 ~昭和グラフィティ~

          昭和40年(1965年)秋 @金沢(卯辰山)ヘルスセンター2 由美の母親が頑なに大浴場に行こうとしないので、明と博臣の母親もひとまず浴場行きを断念した。 「あらあ、アメリカばっかやないですよ~。フランスの歌も好きですよ。『夢見るシャンソン人形』の弘田三枝子ちゃんなんかいいわぁ」 明の母親が雰囲気を和らげるように、やんわりと語り出す。 キレイに整えられた明の母親のセシルカットを眺めながら、由美の母親は心の中で「えらいなぁ」と思っている。そして、 (『悲しみよこんにちは』って

          遅れてきたGS(グループサウンズ) 10 ~昭和グラフィティ~

          遅れてきたGS(グループサウンズ) 9 ~昭和グラフィティ~

          昭和40年(1965年)秋 @金沢(卯辰山)ヘルスセンター2 「御三家の中では、誰が一番好きやの?私はね、やっぱり橋君かなあ」 博臣の母親は横座りのまま、心底リラックスして切り出した。 彼女たちのママ友女子会は、いつもこんな風に始まる。 「そういえば、橋君、金沢観光会館で切りつけられたやろ?ほんまに無事でよかったわぁ。橋君、ずっとボクシングやっとったやろ?そやから素手で刀防げたんやな。やっぱイカすわぁ。……そやけど、橋君、金沢のこと嫌いになったやろか?」 一昨年、橋 幸夫が

          遅れてきたGS(グループサウンズ) 9 ~昭和グラフィティ~

          遅れてきたGS(グループサウンズ) 8 ~昭和グラフィティ~

          昭和40年(1965年)秋 3人@金沢(卯辰山)ヘルスセンター 金沢市の北東に「卯辰山(うたつやま)」という標高140メートルほどの山がある。 金沢城から見て、東(卯辰)の方角にあるからそのように命名されたという。 その卯辰山の山頂付近に、以前、「金沢ヘルスセンター」という娯楽施設があった。(1958年開業/1982年「金沢サニーランド」に改称/1993年閉鎖) ここは、長きにわたって金沢市民の憩いの場であった。 総合娯楽施設として様々なアトラクションが売りだったが、その

          遅れてきたGS(グループサウンズ) 8 ~昭和グラフィティ~

          【SPORTSMEN IN TOIN CAMPUS】桐蔭横浜大学女子柔道部編 1

          岡 明日香 桐蔭横浜大学女子柔道部監督 「階級を変えるのは、とても大変なことなのです」 桐蔭横浜大学女子柔道部監督、岡明日香氏は、穏やかに語った。 2018年9月。女子学生体重別選手権70㎏級で、桐蔭横浜大学が上位3位を独占した。 その結果を知って、実力のある選手を、それぞれ違う階級に分散した方が、優勝者が増えるのではないかと単純に思い、岡監督に 「もったいなくはないですか?」 と素朴な疑問をぶつけてみた時の事である。 岡監督はしばらく考えてから、やんわりとこちらの素人考え

          【SPORTSMEN IN TOIN CAMPUS】桐蔭横浜大学女子柔道部編 1

          遅れてきたGS(グループサウンズ) 7 ~昭和グラフィティ~

          昭和40年(1965年)秋 3人@金沢 どういう理由か、由美の母親は、お風呂屋さんに3人を連れて行こうとはしなかった。 明も博臣も、由美の母親とお風呂屋さんに行きたいと願っていたが、一向に、その願いが叶えられることはなかった。 その代わり、当時、金沢片町にあったデパートの「大和」に、3人をよく連れて行ってくれた。 「大和」に行く時には、よそいきの洋服を着られるので3人とも嬉しかった。 由美の母親は特に何かを買ってくれるわけではなかったが、それでもデパートに行くこと自体が嬉し

          遅れてきたGS(グループサウンズ) 7 ~昭和グラフィティ~

          遅れてきたGS 6

          昭和40年(1965年)夏 3人@金沢 「あー、3人とも汗びっしょりやね。……ほうや、お風呂屋さん行ってくるか?お父さん、悪いけど連れてってくれる?」 麦わら帽子をかぶって、捕虫網と虫かごを持った博臣と明と由美は、犬みたいに舌を突き出して、ハアハア言いながらもニコニコしていた。 虫かごの中で、この日の収穫である油ゼミがジージーやかましく鳴いている。 博臣と明はランニングシャツにサンダル、由美はシュミーズ姿。 夏の子どもの典型的な姿である。 「おーっ、いいぞ、じゃ、ヒロも由

          遅れてきたGS 6

          遅れてきたGS 5

          5.1964年(昭和39年)4月11日~ 明 @金沢 明は、テレビ漫画の主題歌と同じくらいお菓子も好きだった。 特に好きだったのは、「ケンキャラメル」。 狼少年ケンとキャラメルという最強の組み合わせ。 「ケンキャラメル」のおまけがまた楽しみだった。 キャラクターのコロコロ人形。 テレビのコマーシャルをみてすぐに買ってもらった。 ケンの人形、大当たり! 初めて買ったケンキャラメルでケンが当たるなんてと興奮した。 でも、その後はいくら買ってもケンは出て来なかった。 明は、一

          遅れてきたGS 5

          遅れてきたGS 4

          4.1965年(昭和39年)4月11日~ 明 @金沢 由美に手を引かれて走りながら、明は恍惚とした表情を浮かべていた。 以前、隠密剣士の大瀬康一演ずる新太郎が悪者に捕えられ、「縄目の恥」を受けているシーンを観たことがある。 その時、明は「いいなあ。自分もあんな風に悪者に捕まってみたいなあ」という気持ちになったのを思い出した。 どうせなら、さっき由美が自分を助け出す際に、刀で縄目をぷっつり切ってくれたら、もっと良かったのになあ。 「もう、大丈夫でござる。悪者は拙者が退治いたし

          遅れてきたGS 4

          【SPORTSMEN IN TOIN CAMPUS】廣川 充志編1

          廣川 充志 桐蔭横浜大学専任講師 桐蔭横浜大学柔道部監督 「それでは、実際に採血をしてもらいましょう……。誰か代表してやってみたい人?」 科学系実習室に、廣川専任講師の柔らかみのある落ち着いた声が響く。 この日の「運動処方論」の講義は、桐蔭横浜大学の専任教員たちの授業参観日でもあった。 時にユーモアを交えた彼の穏やかな口調は最後まで変わることなく、講義の時間は楽しく充実したものになった。 参観した教員たちは、日頃から、廣川がきちんとした理論に裏付けられた指導を行っている

          【SPORTSMEN IN TOIN CAMPUS】廣川 充志編1

          遅れてきたGS 3

          3.1964年(昭和39年)由美 @金沢 「うわっ、カレーライスだ!」 食卓のお皿を見て、由美は心の中で悲鳴を上げた。 彼女は、カレーライスが大っ嫌いなのだ。 カレールーの味そのものは好きで、ルーを舐めると「美味しい!」と思う。 白いご飯も好きだ。特に、ご飯にお塩を振って食べるが好みだった。 しかし、白いご飯を黄色いカレーが汚しているのは許せない。 由美がためらっているって 「お母さんのカレーは美味しいんだよ!」 博臣が悲しそうな顔をした。 「せっかく作ったんやし、由美ちゃ

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