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忘れたくない、郵便受けを開けるワクワクを.

郵便受けをぶっきらぼうに開ける。
何も入っていてくれるなと思うのは、
雨で濡れた服のせいか、買い物袋の重さのせいか、
それとも大人になってしまったからなのか。

***

「ぜったい、ぜったいまた会おうね」
車の後部座席の窓に張り付き、
その姿が見えなくなるまで手を振ったあの日のことは、
15年経った今でも鮮明に覚えている。

新潟から東京への引っ越し。
小学生の私にとって、それは紛れもなく異国の地への移動だった。
何時間か車に揺られ、ギラギラしたビルの軍団を見たときには、
急に寂しくなった。
当たり前のように遊んでいた公園や、お友達のおうちには
もう一人じゃ絶対に行けない。
大好きなお友達とも、もう二度と会えないかもしれない。

子ども心にそう感じていた。

都会

***

そんな寂しさに浸る暇もなく慌ただしく新学期を迎え、
お友達も少しずつ出来てきた頃、
新潟に住むRちゃんからお手紙が届いた。
可愛らしいピンク色の便せんに、見慣れた文字が並び、
Rちゃんの顔と声が鮮明に思い出された。
「交換ノートみたい!」

初めてランドセルを背負った日から仲良くなったRちゃんとは、
いわゆる「にこいち」で、クラス替えを経てからも交換ノートのやり取りでずっと繋がっていた。
「私たちだけの秘密の共有」それが私たちをたまらなくワクワクさせた。


”引っ越してもお手紙なら出来る!”

ほどなくして、私とRちゃんとの文通が始まった。
文房具屋さんで可愛いレターセットを見つけては、
母に「Rちゃんにおてがみ書く!」と言っておねだりした。

その頃から、郵便受けを見るのが日課になった。
私宛のお手紙が入っていることを密かに期待しながら郵便受けを開ける。

Rちゃんからの手紙が入っていたときには
普段の2倍のスピードで階段を駆け上がった。
進研ゼミのお便りはびりびりに破って開けてしまうのに、
Rちゃんからのお手紙は、中の便せんを傷つけてしまわないように
ハサミを使って、丁寧に開けた。

それくらい「はるばるやってきた私宛の手紙」が嬉しかったのだ。

Rちゃんとの手紙のやり取りは2年くらい続いた。

そして、徐々にやりとりの間隔が空いてゆき、
どちらが最後に送ったのかの記憶もないまま、自然と終わった。

私はすっかり東京の生活に馴染み、
きっとRちゃんも私がいない新潟の生活が当たり前となったのだろう。

途絶えてしまった友情ではあるけれども、
あの時手に取った、封筒の厚みとワクワク感はきっと一生忘れない。

***

郵便受けを開けながら、ふとそんなことを思い出した。

スマホでいつでも、どこでも、誰とでも、繋がれる現代では、
きっとあの郵便受けを開ける楽しみは過去のものとなってしまったのであろう。便利さと引き換えに失なわれていくものは、気づかないだけで結構あるのかもしれない。


忘れたくなかったから、言葉にして残しておく。

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