見出し画像

「学生ライター」で何を学んだ!?振り返ってこれからにつなげる!

こんにちは。飛田ゼミなんでも取材班砂畑です!

今月は、取材班のメンバーが他のメンバーにインタビューをしたり、メンズメイクや実家の晩御飯について取り上げたシリーズ物がスタートしたりと、なんでも取材班という名前の通り、様々なインタビュー記事を投稿してきました。

この飛田ゼミなんでも取材班を立ち上げたのは僕なのですが、なぜこのような企画を立ち上げたかといいますと、学生ライターの経験が理由のほとんどです。

ご存じの方もそうでない方もいらっしゃると思いますが、僕はフクリパという福岡の今と未来をつむぐWebメディアにて「福岡のアート」をテーマに「博多織」を題材にして記事を書いた経験があります。

この中で、株式会社フリーランスの後藤暢子さんにお世話になっていくわけです。

今回は、僕が学生ライターとして取材をしてインタビュー記事を書いた経緯やその場面場面で感じたことについて書いていきたいと思います!

といいますのも、飛田ゼミ取材班が出来上がって早一か月が過ぎました。
これからのなんでも取材班の活動をしていくうえで、僕も他のメンバーを初心に戻れるような記事を残そうと思いまして書いている次第です。

なかなか経験できない学生ライターという機会を通して、僕が何を感じ、どう考え方が変化していったのかを発信できればと思います!

今回はどなたかに取材をした記事ではありませんが、取材を通して感じたことの記事になります!

それでは早速スタートです!

ライターしたい人いませんか?→だれかする?→はい!してみたいです!


時は少々さかのぼりまして昨年の12月。週に一回のゼミにおいて、いつものようにグループに分けれてディスカッションをしていました。

ゼミの様子

すると担当教員の飛田先生から

「後藤さんっていう方が学生ライターのインターンを探しているみたいなんだけどだれかする?」

と投げかけられました。

今でもその時の数秒間での思考の内容を覚えています。

学生ライター?ライターできるの?学生が?すごくない?それ

と数秒の中で考えた僕は「はい!僕やりたいです!」と応答。

すると先生、

「OK。後でFacebookつなぎます。よろしく。」

そうこれが、学生ライターをすることになった僕のきっかけなんです。

のちの講演会で後藤さんもおっしゃっていましたが、

できないならしない、できそうなら無理してでもするという精神が僕にも多少あったのかもしれません。

なぜ学生をライターに

こうして僕は学生ライターをするというきっかけをいただいたのですが、そもそもこの企画自体はもともとどうやって起こったものなのでしょう。それは後藤さんと話していくうちに分かりました。

Webメディアが発達して、だれでもWeb上で文字を書くことができるようになったのは良いことなんだけど、間違った言葉や情報でつくられた記事が蔓延してしまうのは恐ろしいことなのよね。けど、じゃあライターの勉強をする機会が多くあるかといったらそうではないのも事実だから、将来ライターになってもならなくてもその機会を作ってあげることはイイことではないかと思って企画したの。

と後藤さんは話してくださいました。

確かに、僕もブログを書いていましたが、何かに習って文字を書いていたわけでもなく、しっかりと企画をして書いていたわけでもありませんでした。

後藤さんや他のライターさんが取材して記事にした方が早いですし、いい記事ができるのにも関わらず、僕のような一学生にこの機会をくださったことに感謝しております。


年始に後藤さんと顔合わせ。何を取り上げよう。


年末に飛田先生に後藤さんを紹介していただいて、顔合わせの日程を決めて、年を越して遂に顔合わせの日。

事務所の一室にて、お話をさせていただきました。

はじめに聞かれたことは「なんで、飛田先生のゼミに入ったの?」でした。

そこから後藤さんがしていることや、株式会社フリーランスのこと、これまでどんな記事を書いてきたか、他にもこんなことをしてきたよとお話をいただいて、本題のフクリパの記事について。

実は僕は学生ライター第二号。

僕がちょうど顔合わせをしたくらいに、九州大学の方が記事を公開していました。

第二号の僕がいただいたテーマが「福岡のアート」でした。

もう一人の学生のライターの方は「福岡のパブリックアート」をテーマに新天町にある時計台について取材をして記事にされていました。

なるほど、パブリックアートって気にして過ごしたことなかったなあと思ったのと同時に、そこに時計台があるのは何らかの理由や経緯があって、この時計台とともに過ごしてきている方々もいるのか、おもしろいなあ、と思いました。

その時に1つ僕の中で考え方が変わっていました。

どんなものにも人がかかわっていて、そこにはどなたかの思いが込められているんだ、というように捉えられる視野を持つことができたのです。

しかし、「福岡のアート」といいましても福岡出身ではない僕は完全に手ぶらな状態。

さあどうしようと思い、次の日に足を運んだのが博多町家ふるさと館。

まずは福岡×歴史×アートを学んでみようと向かいました。

**

博多織との運命的な出合い、初めての企画書作成**

後藤さんとの顔合わせを終え、「福岡のアート」というテーマをいただき、完全に手ぶら状態の鹿児島出身の僕。

しかし、博多町家ふるさと館にて運命的な出会いがありました。

博多町家ふるさと館は、古き良き時代の博多の暮らしを紹介する施設。

博多町家ふるさと館のHPより

施設は画像のようになっており、「ろ」に位置する町家棟で「博多織」と出会うのです。

ふらっと町家棟に入ると、何やら聞き慣れてはいませんがどこかで聞いたことがあるような音が。それが、博多織の機織り機だったのです。

それも一日のうちのある時間帯でしか博多織の実演展示はされていないようで、たまたま僕はその時間帯に訪れたのでした。

お!?博多織か。聞いたことないけど綺麗な織物だな。

と思いました。そのまま「は」に位置する展示棟に入って博多織の歴史を知りました。

あれ?なんか博多織ってすごくない?これは博多×歴史×アートといえるのではないか?

よし、後藤さんに連絡してみよう。

こうして原稿案を作り後藤さんに提出しました。

このような流れで後藤さんに博多織はどうでしょうと連絡しましたら、数日後に、では博多織でいきましょう。早速プロットシートを作ってみてください。とお返事が。

こうして博多織を題材に記事を書くことになったのでした。

**

プロットシートって何?取材先の選択の仕方**

しかし、プロットシートって何なのでしょうか。後藤さんからお返事いただいてすぐにググりました。

大枠や構想をシートにして作って、取材したい内容や考えを記すもの。

というようなニュアンスでプロットシートを作り始めました。

仮のタイトルを付けて、仮の見出しをいくつか作って本文の内容を大まかに考えて、取材先候補を沿えて後藤さんに再度提出しました。

ライターは取材して記事を書くだけではないことを学びました。記事が出来上がるまでに色々なプロセスがまだまだありました。

それが取材先の選択です。

取材先を調べる中で、博多織といっても各会社で製品も違いますし職人さんの数も違いますし、その中から気になった会社をいくつかピックアップして後藤さんに提出していたのですがここでもアドバイスをいただきました。

博多織工業組合があるから、まずは組合の理事長さんに博多織について教えていただいて、その後におすすめの会社さんを教えてもらう流れの方が良くない?

というアドバイスをいただきました。確かにそうですし、結果的にそうでした。単純に、「博多織 面白そう」というような思考回路でしか取材先を見つけられていなかったのでこれもまた勉強になりました。

記事を書き上げるうえで、どのような取材先にどんな順番で取材していくことが良いのか、記事を書く前からその記事の内容は決まっていくのです。

**

初めての取材依頼。初歩的なミス。**

というような経緯で取材先が決り、取材依頼の電話をすることになり、電話のスクリプトを作り後藤さんに確認・訂正していただきまして電話をかけました。

しかし、博多織工業組合さんに電話をすると、メールで企画書をくださいといわれまして、今度はメールを送信。

しかし、5日、6日、待ってもお返事が来ないのです。

一週間たって確認の電話をすることになりました。

ーーーーーーメールで企画書等を送っているのですが、ご確認いただけましたでしょうか?

ーーーーーー見たけど、電話番号が記載されてないから連絡するにできなかったんだよ。

これはかなり初歩的なミスでした。

文末に、メールアドレスしか記載しておらず、電話番号を記載しないというミスです。これでは電話でのお返事が来るわけがありません。

ですが取材自体は受けてくださることになりまして、組合の理事長と副理事長の方に取材をすることに。

博多織工業組合での取材の様子

取材の内容や、この後サヌイ織物さんにも取材に行ったことについては、是非こちらの記事をお読みください!

またフクリパは音声で記事を伝える取り組みもしておりまして、僕の書きました博多織の記事も音声となって発信されています!こちらもぜひ聞いてみてください!

**

振り返ってみて**

こうして取材を二つして、記事を書き、博多織工業組合さんとサヌイ織物さんに内容確認のメールを送り、修正をかけ、記事が投稿されました。

その後、記事が投稿されましたという内容のメールを取材先に送り、ギャランティを生意気にもいただくための人生初の請求書作りをし、これにて僕の学生ライター経験第一弾はひと段落したのです。

思い出したら恥ずかしくなるミスをいくつもして、ライターの方が記事を書きあげるまでにこんなにたくさんのプロセスがあることを知りました。

しかし、ライターの経験を通して一番、自分自身に変化があったのは、「誰かに何かを伝えるための文章を書きたい」と思うようになったことです。

こう思えたのは記事を読んでくださった周りの方々からの感想をいただいたからです。

ある方は「博多織って綺麗だね、何か博多織製品ほしくなった!」、ある方は「福岡に住んでるけど博多織ってこんなに歴史があるんだね、知らなかった。」、ある方は「同じ博多織職人さんでもこれからについての考え方が全然違うね。おもしろい。」またある方は「学生ライターなんですごいね!私ももっと頑張ります!」などなど。

読んでくださった方それぞれで感想が様々で嬉しかったんです。

誰かに何か感じてもらえるような文章を書くのって楽しいな、もっと言うならば、自分が伝えたかった博多織の長い歴史や、これからの博多織を盛り上げるためにこんな取り組みをこういう思いでしている方がいるということなど僕が感動したポイントが誰かに伝わったことが嬉しかったんです。

年明けに後藤さんと顔合わせをしたときは「なぜ文章を書きたいのか」という質問に対して、ただ書きたいんですというようにしか答えられていなかった僕でしたが、今は誰かに何かを伝えたいという目標をもって企画をして取材をして記事を書いています。

そう考えられるようになったおかげで、ゼミを選択する二年生向けの「飛田ゼミ生インタビュー記事」を企画出来ましたし、今は飛田ゼミなんでも取材班にて1つの企画ごとに「だれに何を伝えたいのか」を話し合っています。

インターンとして学生ライターやってみたい!と思ったのがきっかけで、今現在このように「やりたいこと」が見つかって、それに協力してくれる取材班の仲間がいて、応援してくれる方々がいてとても幸せです。

来週は取材班のネタ会議があります。より活発でより誰かにささる企画と記事を作るよう取材班一同頑張りますので、これからも応援よろしくお願い致します!


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Written by RYUTARO

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?