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#20 乳がんになって、がんになるということについて改めて考えたみました。

令和5年3月に乳がんステージ3c(ルミナルA)を発症し、現在は放射線治療とホルモン療法を並行して行っています。

放射線治療は全25回の照射。
平日毎日同じ時間に病院へ行き、10分程度の治療を行っています。

現在18回目を終えたところですが、照射している右胸が軽いやけどのようにヒリヒリしてきました。
泡の保湿剤を処方してもらいました。毎日お風呂上りに肌の保湿が欠かせません。
痛くも痒くもない治療ではありますが、照射後はすごく眠く感じることがあります。


放射線照射のための線が上半身にマジックで描かれています

一方で、25回の照射で毎日お世話してくださる放射線技師の方や、看護師の方とは少しずつ距離が近づき、会話の中身も治療の話だけでなくプライベートな話題も出るようになりました。

主治医を筆頭に、口腔歯科・呼吸器・化学療法室(抗がん剤)・放射線科の他、医療事務の方々まで、全て私を支えてくださるチームです。
「仲間」だと、一方的かつ勝手に親しみを抱いています。


乳がんになるということは、地元に(病院内に)新しい仲間が出来ること


◆乳がんになる前の自分には戻りたくない

胸に違和感を覚えたあの日まで、自分が癌になるなんて考えたこともありませんでした。
癌になったらどうしよう、そんなことも勿論思ったこともありませんでした。

実際、乳がんになって、その現実に直面した時は、私の場合は仕事や母親としての「責任をどう果たせるか」に重きがあって、今日の今日まで癌になったこと自体に対しては、「どうして私が?」とか「これからどうなるのか?」という絶望感的な感情とは無縁です。

だからと言って、前向きかと言われれば、それも明らかに違います。
でも後ろ向きな訳でもありません。

命に向き合うということは、そういう単純なことではないということの現れなのでしょうか。
感情を言葉で表現することがとても難しいです。

乳がんになってどうかと尋ねられれば、それは当たり前のことですが、乳がんにはなりたくなかったです。

ですが、乳がんになりなくなかったことを嘆き悲しんで今を生きているかと言われれば、それも違います。

そして、驚かれるかも知れませんが、
乳がんになる前の自分には戻りたくないと強く思うのです。

乳がんにはなりたくなかった。でも、乳がんになる前の自分には戻りたくない。

矛盾しているようで、矛盾ではない。不思議ですよね。



◆神様がいるとすれば、役割を与えられているのだと素直に思えます

乳がんにはなりたくなかったです。
だけど、乳がんになる前の自分には戻りたくない。

つまりこれは、乳がんになったからこそ獲得したものの大きさがそう思わせるのだと思うのです。

・乳がんになって大事なことを優先できるようになった
・乳がんになって嫌なことは嫌だと言えるようになった
・乳がんになって心から人を信じられるようになった
・乳がんになって時間の密度が濃くなった

「神様は、乗り越えられる人にしか試練を与えない」
そんな言葉を聞きますが、私はちょっと違うんじゃないかと思うことがあります。

別に乗り越える必要はなくて、
現に乗り越えられるなんてレベルじゃない事象に遭遇することもあるわけで、(よって、乗り越えなければ!なんて頑張る必要もないと私は思う)

神様は、神様が必要だと思う人に、様々な手段をもって役割を与えているのではないかなと思うのです。

乳がんによって、私は変わる必要があった。
それは私の幸せのためでもあり、ラジオ局の運営やみそソムリエとしてもっと社会的な役割を果たすためでもあるのかなと。

未熟で無知な私には、乳がんという体験をもとに、
もう少し有益に社会に作用しなさいねというメッセージではないかなと。
(ちょっと宗教っぽいですかね?(笑)

さらに言うと、それはがん患者本人だけでなく、その周りの人にとっても役割を認識させるための仕掛けなのではないかと思うのです。


いずれ、乳がん患者の私を含め、私の周りの人は、果たすべきミッションを与えられている人かも知れないということです。
こんな風に、もし神様から役割が与えられているのであれば、選ばれた者として私はとても光栄に思います。


良い放送局にしていこう。良いみそソムリエになっていこう。


ただそれだけを純粋に叶えようと思う、今日この頃です。




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