迷路な実印<掌小説>

帰宅後、小さな紙袋を開けてみて驚いた。
「なんじゃ、こりゃあ?」
婚約者も驚いている。2ケ月後、わたし達は結婚式を挙げるのだが、頼んだ実印が今日、完成したのだ。
「取りあえず、、実印でも作っておくか」
婚約者が望んだからである。既に半同棲。両方の親も公認の生活をしてから長い。2、3日に一度、勤め先からわたしが帰るのがここである。勿論、親に連絡はするが。

実印何て作る必要ないんじゃないかと、当初、わたしは反対した。
結婚後、婚約者の家の商売を手伝う事になっている。
ここらで唯一の、印刷会社だ。同じ敷地内の2階建てが新居となる。だったら必要あるまい。
が、婚約者は、どうしても他地に住みたいという。
子供の頃から同じ家に住んでいるので、変化がなくてつまらない。
幸い、歩いて15分もしない所に、自分名義の土地がある。
結婚祝いに、住宅設計会社を営む姉が義兄と一緒に家を建ててくれると言うから、そこで暮らそう。いいじゃないか。
土地を見たけど、陽当たりもいい。45坪の一軒家で始まる、新婚生活。
夢の一軒家。しかもプレゼント=もしやタダ!ラリホー!
しかし住むにあたって法的手続きを踏まねばならず、実印が必要なのだ。

一文字、一文字が余りに小さすぎている。
怪訝な顔をした婚約者が、朱肉をつけて押して見る。
「よいしょっと。お前のも押そうか?」
「うん。お願い」わたしのを渡す。黒くて丸く、少々思い。
「あらよっと!」
「何、これ?」揃って声が出た。

<武家屋敷>4文字の姓字(みよじ)に、<源一郎>
3文字の名前が、ぎゅうぎゅう詰めにされている。
同じ4文字の姓字(みよじ)に、<沙都子>
これ又同じく3文字の名前が、ぎゅうぎゅうに詰まっているのだ。
あの独自の字体。コーヒーを飲む手も止まった。
恐るべし4文字、武家屋敷。わたし姓字・安曇野(あづみの)だって思えばスゴいが、武家屋敷程のインパクトはない。

押された実印を見る。
婚約者は、何故かニヤニヤとしている。
「ん?」わたしに気がつき、目を合わせた。
「いやね、迷路みたいみたいだな、実印って。と、思って」
「迷路?」
「うん、大袈裟な事をいうとさ、人生みたいじゃん。色々あって、迷いに迷って、出口を見つけようとして間違えたり」
髯からコーヒーの匂いがした。
「今迄の人生、そんなんだったの?幸彦(ゆきひこ)さんって?」
軽くからかう。コーヒーを飲む。
「まぁ、それは想像に任せるけど。その、俺達もこれからそうかな、と」
「そうね。入口、出口も分からないけど」
並んで押された実印に、しみじみ思う。
「そうなった時でも、宜しくお願いしますよ。今迄以上に」
「わたしこそ宜しく」
わたし達は笑った。どこがが照れた。

<了>






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