これで良かった、良かったんだ~父の臨終~

〇声掛けは 酷と悟りて 段々と
         弱まる父を ただ瞳(ひとみ)にす
 
                  <短歌 なかむら>

                          
※テレビドラマで、お馴染みのシーン。
「頑張って!」「息をして!」「死んじゃイヤ!」等々。
臨終で頻(しき)りに、声を掛ける。必死に声を張り上げる。
泣きながら叫ぶ。
死=いけない、否(いな)。生=当然、あって然るべき感情。
死なないで欲しい。どんな形になってもいいから、生きていて欲しい。
願い故だ。

が、これ以上頑張っても、今まで以上に酷(こく)。
大変な日々しか残されていない人には、旅立つのを見守るのがいいのではなかろうか?

父の最期を思い出す。
妹と共に、説明室に呼ばれたのが、夜中の3時過ぎ。
手術開始が、午後5時頃。
「今から行います」渡されたポケベルが鳴り、声が報せた。
手術室に向かったのが、午前8時半前だ。

呼ばれ、元いた集中治療室に戻る。
時計を見る。午前10時に近い。丸一日を越えている。
沢山の管に繋がれた管の間から、ぐったりとした父が見える。
生気がない。
薄目を開ける。「お姉ちゃん?」言いたげだ。
と、足早に現れる姿があった。「心臓血管の〇〇です」
女医さんだ。初めてお目に掛かる。
「これ以上は、、、、」
少し遅れて来た担当医も、見解は同じだ。顔馴染みの看護師5、6人も皆々、暗い顔を寄せる。
薄目を開けた父と、説明を受ける。
(えっ!どうしてですか?本当に、どうにもならないんですか?今までだって、何度も、どうにかなって来たじゃないですか?)
もし、喋れたとしたら、一挙に父は畳み掛けてもしただろう。

「えっ?やるの?」
医師すら聞いて驚いた、今回の手術だ。

病院に妹とわたしを呼び、「賭けてみたい」。
父から相談された時、妹は即答。賛成の意を示したが、正直、わたしは乗れなかった。気が進まない。
高齢の上に、基礎体力の問題もある。既に何回も手術しているから、皮膚だって弱まっている。
わたし一人だけであった時にも、何度か父は言葉にした。その都度、お茶を濁しまくった。
が、「いいんじゃない?お父さんがしたいなら」
少しだけ考えてから、答えた。妹に同調したのだ。
見放されている。長くない。だったらもう、望む通りに。父の好きにしてやりたい。
「お姉ちゃんも、賛成してくれたし」
手術日の朝。一寸だけ、笑いながら言っていたのが、最後の言葉だ。

しかしこの結果を父は、予測出来ていたのではあるまいか?
が、手術中に、死ななかった。逝ってもおかしくなかった。カタチだけではあっても一応、集中治療室に戻る事が出来た。
(もしかしたら、又、手術をすれば)
「生きたい!」
瞬間ではあっても、猛烈な意欲が沸きあがった。メラメラ燃えた。
「、、、したとしても、、、」「、、、う~ん、、、」
小波程度にしか、わたしの耳には届かなくなった言葉を、一生懸命になり父は聞いていた。が、とある時点で、首を横に振る。
(ああ)思う。

妹に連絡をしなければ。
子供がいるので、早朝に一旦、自宅に戻ったのだ。
「わたしです。うん、今、戻って来たんだけど、先生が、、、」
担当看護師が代わって説明すると、聞こえてきたのは泣き声だ。
やるせない。「あの、トイレに」
嘘の声掛けをし、わたしも席を外した。

どうやら気持ちが落ち着き、戻る。妹がいた。
午前11時を少し廻っている。担当医から、説明済のように見受ける。
既にわたしは受けたが、「先生から直接、妹にも説明してやって頂けませんか?間接的にわたしが伝えるより、直接的に、先生からお聞きした方が、妹も感覚的に違うと思いますので」
「そうだね」
お願いに頷き、実行して下さったのである。

看護師さんが、薄黄色のカーテンを閉め始める。
(・・・・)
看取り時間の始まりだ。
次の世界へ旅立つまでの、共通時間。生前最後の時間である。
妹が、何かを話し掛ける。四六時中、手足を摩(さす)る。温もり。
万が一でもの生還。奇跡を期してからだろうが、真逆。
わたしは何もしなかった。
乱れた呼吸を繰り返しながら、弱々しくなるばかりの父。
パジャマのサイズが入院をする度に小さくなり、遂にM。Mでも身体が泳ぐ父を黙って見ていた。
齢(よわい)喜寿。

一生懸命な妹と、父を交互に見ていると、時折、
「管、抜きます」
看護師さんの断りにハッとする。目で追う。
様々な管の中から選択をし、2本、3本と抜く。時間と共に、声がして、数本抜かれゆく。
死に向かう父を、目(ま)の当たりに今、している。
日を追うごとに、顔色が白。
白に近づいてきているのは、色素が抜けていっているから。
伴い大小さまざま。小豆から米粒、胡麻に点々等々、より取り見取り。
両頬に散乱している茶色のシミも多少は、薄くなって来た。
翌々見ると、円(つぶ)らな瞳(ひとみ)で、かわいいじゃん。
こんな円らなお目々(めめ)の77歳、いなくてよ。
瞼が細かったから、元気な頃は分からなかったけど。
病気で腫れぼったかった瞼も、元に戻って来てるじゃん。手術の効用だね。

もう、苦しまなくていいのよ、お父さん。
(・・・・)
徐々に徐々に消える命の道程を今、我々は見ているのだ。

冷たいようだが、(いい、これで)悟った。
「延命治療は、絶対にしない」最初からの方針だ。意志は貫こう。
「却って可哀想だよなぁ」
母の時に言っていたし、「俺も、しなくていい」。
呟いたのを耳にした。

しかし、死=タブー。絶対的にあってはならない。
「何が何でも、死なせはしない」
未だに、日本医学会の根幹なのだ。死なせれば「悪」。
どんなに全力投球でした結果であっても、「藪医者」だの、「藪病院」。
噂が立ってはたまらないから、病院として治療方針を明確にしたい。

最初の手術から言われた。
「延命治療はどうしますか?」
妹は考えると言ったが、
「何で?お母さんの時だって、しなかったじゃない」
「やれるだけやって貰えばいいじゃん。で、ちゃんと送ってやろうよ」
珍しく、強気の発言。半期に一度の、超強気。
代表者はわたしだ。担当医師に告げた時、妹は泣いた。

手術回数が重なる度に、「延命は?」
書類にもチェック印。植物人間云々の文字に改め手術の大きさを思い、
(しょぇ~っ!!!)
(もし、そうなっちゃったらどうするの?誰がお世話を?わたしな訳?)
一人、ビビりまくりもした。
「方針は変わりません。延命はしないです」
この手術の説明の時にも、いつものようにきっぱり、わたしが宣言した。

夏に自宅のトイレで大吐血。
掛かりつけの病院に連絡を入れたが、ベットに空きがない。
日赤に運ばれ、一応の処置が施された。が、
「途中で、心臓が止まっちゃって。蘇生させました。これから自治医大に運びます」
「えっ?」
聞かされたのは、運搬される寸前だった。

知らない間に、超有名になっていた患者でもあった。
「なかむらさんが、再入院するんだって。あの、なかむらさんが」
「又?」
手術の大変さや回数。入・退院の頻度。年齢の割には背が高く、良く喋る。=「あの」となる。
吐血の多さもあっただろう。わたしも2回、大吐血するのを見た。
その度に、偶々(たまたま)の運。偶然が重なり、どうにかなりはしたが、治る訳ではない。
一時的には、かなり回復。
色艶も良く、食欲旺盛。器具を使っての歩行練習も、頑張っていた。
声に張りがあり、相変わらず良く喋った。
が、「死期が近い病人は、死ぬ前に一度、元気になる」。
言葉が浮かぶ。

段々と抜かれる管の本数も多くなり、弱々しくなり。
最期は、少しだけ苦しみから解放されたような表情で、すっと逝った父。
ずっと腕時計を測っていた担当医師が、臨終時刻を告げた。
(この1年、いろいろあったけど、良く頑張ったね、お父さん)
言おうとしたけど、言えなかった。
自然の定理で旅立とうとしているのに、「忘れ物は?」だの言いたくない。
声掛けなど止めよう、決めていた。
今でも後悔していない。
下手に声掛け何ぞしなくて良かったと、自信を持っている。
改め思う、川柳にしよう。

〇生きるより 死ぬのが難し 今の世よ
                 <川柳 なかむら>

<了>


#自分で選んでよかったこと


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