ホテルのバイキング

本日、決定。ゆくのが正式決定した。
妹との電話でだ。
喪服から私服に着替え、菩薩寺のある山形県から、目的地のある福島県まで車でゴー!
運転手は義弟。助手席には姪が陣取り、後部席の右にわたし、左に妹と座る場面も想像できる。目的地=飯坂ホテルジュラク。温泉以上に、バイキング。メチャクチャ美味しく、多種多様な食事に我々は、元気を貰いにゆく。
3度目となる。

お初は、亡母の四拾九日だったと記憶する。
いつもであれば、車で移動であるけども、軽自動車に買い替えたばかり。+(プラス)自分の年齢を思ってか?新幹線でと父が言う。妹一家への承諾も既に行っていた。
「いいでしょ、たまには」
かさばる荷物を持たねばならない我々(特にわたし)への、ご褒美(?)。心ばかりの感謝として(どうだか知らぬが)、親族の親睦を兼ね、予約を入れておいてくれたのだ。
菩薩寺迄が何せ電車の旅(?)である。よってホテル迄もが又、然り。3回、4回乗り継いで、最寄り駅までどうにかナリ。山形県から、福島県まで電車移動は、一寸した小旅行にも値する。えらく時間が掛かった。最寄駅で公衆電話を使って呼び出したら、マイクロバスが出迎えに来た。
あの時、先陣を切っていた父は今、いない。
母が他界した三年後に、同じく他界。今にして思うと、臆するものがあったのかも知れない。通院歴が酷くなる少し前だ。
「オムレツ、美味しいよ。3種類選べるし」
「お父さんの好きそうなおかず、奥にある」
温泉と同じく、バイキング。多種多様さが素晴らしい。華やかである。
華やかと共に提される清潔さは、悲しさを自然と浄化させて来る。
入浴後のお楽しみ。バクバク食べながら報告する我々に微笑み、
「ジジ、とても美味しい。こんなにいっぱいあって、嬉しい」
唯一の孫の言葉に、もうデレデレ。
「良かったね」
テレながら答えていたのを思い出す。

わたしと妹一家である3人。曰く父に一番繋がりのある肉親が、一挙に気に入った場所でもある。
父も他界した。ゆこうかと思ったが、四拾九日はバタバタしていて時間がなく、一周忌の弔いは、わたしと妹だけで執り行った。
して三回忌。願い叶って実行した。皆々、メチャクチャ食べに食べ、喋りに喋って充たされた。
「良く食べますねぇ」
義弟も呆れ果てたように漏らし、
「あんなに食べるお姉ちゃん、見た事ない」
帰宅後、妹も言っていた。

そして今回も、きっと我々は食べに食べ、喋りに喋る。
各々好きにチョイスした、夕飯メニューと飲み物を前にし、食べる気満々の図。その前に挨拶。喪主として妹一家に感謝の言葉を述べねばなるまい。
「え~っ、皆さんのお陰でね、七回忌の法要も無事に執り行う事ができました。ありがとう。では」
お疲れと乾杯。そしてイザ!食べ捲る。
強いて言えば、弔い序でにしかゆけないのが残念だ。
                          <了>




#元気をもらったあの食事


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