ちょいとの「手間」の復活を
思った。
何故、こんなにも書籍。紙の本は、嫌われるのか?
電子書籍ばかりが、バンバンと横行。
「読み・書き・算盤」のトップ「読む」が、「本」でなくて「電子」。
パソコンやら、スマホに乗っ取られてしまうのであろう?
いや。完全に乗っ取られる事はなかろうが、確実に認識はされている。
オーディオブック。
大人用読み聞かせ?耳で聞く分野も、含まれるだろう。
結論。
「時短」。度の過ぎた「時短」が常に求められているからだ。
「時間が勿体ない」「もっと速くできないの?」「タイムロス。無駄」
目的の為なら、手段を選ばない。
♪時短の為なら えーんやこりゃー、、、、
財布を開けるのもタイムロスなら、現金を取り出すのも無駄。
ましてお釣りがでないよう、完璧に揃える。1円単位にまで揃えて出すなんて、愚の真骨頂。時間以上に、面倒臭い。
すみませんねぇ。わたし、していて。
そういう面倒を省く為に、政府が「デジタル通貨」や「スマート決済」を進めている。
よって「本」。
知らない間に敵となっている「紙」を「大量」に使う。
厚みは「圧迫感」とみなされ、「ページをめくる」も無駄な時間が重なるだけ。
自然「紙の本、って無駄じゃね?」「手に取るのも面倒臭い」
「スマホでサラサラ読むのがいいよな。指一本だし」
若者を中心とした思いが強まるのではないかと思うのだ。
わたしが小学生の時「電気鉛筆削り器」が、発売された。
友人が買って貰ったと自慢気に見せ、実演していたけど、正直、わたしはそんなにそそられなかった。
確かにいい。速く削れる。けど、飽きそう。
手動の削り器の方が楽しいし、面白い。
昭和の話だ。
今の子とは根本的に違うのかも知れないが、大袈裟に言えば「ちょい手間」。
少しの手間をワザと残しておかないと、もうオール「時短」。
余りに時短のレベルが高すぎ、却ってストレスが溜まってゆくのではなかろうか?
少なくても、財布と書籍の「手間」は、「面白い」と考えたい。
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