解釈に違いがあるのは当たり前

個人個人によって、すべてに於いて解釈ってものが違うのは、当たり前。それはわかる。
それをわかってる上で、人は色んな人と会話して、その人が何をどう思ってたかとか、どんな解釈を持ってるのかを会話の中で知っていくものだと思っていて。

だから、会話の長さはどうであれ、ほんの数回話しただけでは、なかなかその人のことを理解とまではいかなくても、「こんな感じの人なのかな?」とざっくりも思えないと思うんです。

つまり何が言いたいかと言うと……
『解釈の仕方に違いがあるのは当たり前なのだから、解釈の違いがどーのこーの言わずに、お互いを知ることから始めないと、何にもなれないよ!』
と言いたかったんです。

ちょっと最近、心がモヤモヤすることがありまして…
こうやって文字にして書いとかないと、心に溜まりまくって、物理学系とか哲学的なこととかの論文とか本とかを読みまくって一日潰しちゃったりするので:( ;´꒳`;)

心の休憩も兼ねて、
ここいらで一息つきたかったのです。

これを書いてる私は名無しの人格なので、名乗れません……ごめんなさい( ; ›ω‹ )

読んでくださって、ありがとうございます。