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美容室で用意された雑誌が読めない

美容室へ行くのが億劫だ。だいぶ伸びたなと思いながらも「まあ別にいいか」で1か月。その後なんだかんだでさらに1か月。「お久しぶりですね」と美容師さんに言われる頃には、最後に髪を切ってから四半期は経っている。

この間、美容室へ久しぶりに行った。上着やカバンを預けて席へ案内される。美容師さんが雑誌を3冊、目の前の台にきれいな扇の形に並べた。「少々お待ちくださいね」と言ったまま彼はどこかへ行ってしまう。

一人取り残されて鏡に映るボサボサ頭の自分に辟易する。担当してくれる美容師さんが戻ってくるまでのこの時間は、彼が与えてくれた反省の時間だと思うようにしている。

「想像してごらん。これ以上髪が伸びてたらどうなっていたのか。ほら、簡単でしょう? Imagine all the people Living for today…ah」

しているようでしていない反省を終えて、ふと目の前に置いてもらった雑誌に目がいった。メンズの髪型カタログ、MonoMax、メンズノンノ。

だいたいどこの美容室に行っても「髪型のカタログ」、「ファッション雑誌」、「モノ雑誌」の3冊が用意されているのは何か決まりでもあるのだろうか。

この雑誌は曲者だ。美容師さんが戻ってきた時に、自分が選んだ雑誌やその開いているページで「はいはい、そういう人ね」と思われてしまう気がする。

たとえば髪型カタログ。今更やってもらいたい髪型もないし、そもそもくせ毛なので似合う髪型もない。似合いもしない髪型をじっくり見ていたら「いやいや、鏡見えてます?」と思われてしまいそうだ。

だからといって『メンズノンノ』は絶対無い。そもそも表紙が坂口健太郎だ。坂口健太郎が表紙を飾るような雑誌を「あんた、けん玉の演歌歌手に似てる」と見ず知らずのお婆さんに言われたやつが読んで良いはずがない。

残るのはモノ系雑誌だが、この無難な雑誌が一番質が悪い。「そんな理由できっと他の二つを選ばなかったんだろうな」と思われてしまうからだ。

こういうロジックがあって、スマートフォンでも見ようかと思うのだが、モバイルゲームにもハマってないし、「何してんの?」なんてLINEを誰かとやり取りする歳でもない。グーグルマップを見るのは好きだが、髪を切りに来て地図を見始める中年男の言い知れぬ気持ち悪さが拭えない。

一番無難なのはニュースまとめアプリでニュースを確認することか。いや待て。見ているニュースによってはヤバめな思想を持っていると思われかねない。難しそうな記事を開いても、読んでいるふりをしているだけだとすぐにバレてしまう。

さて困った。スマートフォンがダメならば、預けたカバンから今読んでいる本でも持ってくるか。いやいや。わざわざ本なんか席に持っていったら「さあ、ほら早く『何の本を読んでいるんですか?』と聞いてくださいな」とアピールしていると思われてもかなわない。

結局、何も見ることができないでいる。

鏡に映る自分を見ようにも、友人に初めて連れて行ってもらったキャバクラでキャバ嬢とまったく会話が弾まず、店内に貼られた鏡に映る自分を見ながら1時間酒を飲んでしまったというトラウマがよみがえってしまう。

店内を見回そうにも、ミラーハウスみたいな店内では他のお客さんと鏡越しに目が合ってしまう。もしも髪がボサボサの中年男が鏡越しにあなたを見つめてきたらどう思うだろうか。私が女性なら即通報だ。

2月14日付けのニュースで「美容師とのコミュニケーションが苦手な人向け」の斬新なメニューを客に提供する美容室がTwitterで注目されているというのがあった。東京都世田谷区のとある美容室で提供されている施術メニューには「カット+会話なし」というのがあり、会話が苦手な人は助かると話題になっているらしい。

美容師さんとの会話を苦手と思ったことはない。むしろ、美容師さんの聴く力に驚くことがある。中には自分の話ばかりしてしまう美容師さんもいるかもしれないが、今のところそんな美容師さんに出会ったことはない。帰る時になって、何でこんなこと話したんだろうと思うようなこともある。

いつも担当してもらう美容師さんは、四半期経ってやってきた私の話を細かく覚えてくれている。これはよほどきちんと話を聴いていないとできないことだ。

良い聴き手になろうと思ったらかなりの努力が必要である。自分を含めて人の話を聴くことができない人の方が多い。「傾聴(熱心に聴くこと)」という言葉があるが、本当に傾聴できるという人はなかなかいない。傾聴は5分が限界だ。5分後には「次はこう言おう」と思っている自分がいる。その時点で聴いているのは人の話ではなく自分の心の声だ。

最近読んだケイト・マーフィ著『LISTEN』は聴くことに対して書かれた珍しい本だった。特に面白かったのが1940年代にロバート・マートンという社会学者が編み出した「フォーカス・グループ・インタビュー」についての項目だ。

「フォーカス・グループ・インタビュー」は少人数のグループに対して具体的な質問を徹底的に投げかけて答えを探るという手法だ。例えば何か新しい商品を開発する際に消費者の本当の意見を聴く方法として使われている。

現代ではインターネットを使ったアンケートや口コミサイトで簡単に消費者の意見を集めることができるようになった。しかし、消費者が本当に求めていることや本当の気持ちは「フォーカス・グループ・インタビュー」のように直接消費者から聴かなければ手に入らないと著者は言う。

そんな「フォーカス・グループ・インタビュー」は参加する人々の話をどれだけ能動的に聴くことができるかがカギとなる。そのため彼らが話す内容を正確に聴き取れる「モデレーター」という役割が重要だ。

そのモデレーターの中にナオミ・ヘンダーソンという人物がいる。

ビル・クリントンが初めて大統領選に出馬した際に、南部のアクセントを協調すると有権者が嫌悪感を抱くということをクリントン陣営が知ったのも、ナオミの質問がきっかけでした。 ケイト・マーフィ『LISTEN』日経BP, 2021,213P

彼女が言うには「私が学んだ聴くことの真の秘訣は、自分のことはどうでもいいと思うことです」らしい。本当に話を聴くということは、どれだけ自分を我慢できるかである。『LISTEN』では具体的な例を挙げながら著者の語り口調で進んでいく。聴く能力を磨きたい人には新しい発見がある本だろう。

そんなことを考えてボーッと一点(正確にはドライヤーのコンセントが刺さっている部分)を見つめていたら美容師さんが戻ってきた。

「今日はどうされますか」と訊かれ、すいて欲しいとか後ろや横をスッキリさせて欲しいとか適当に注文する。ハサミが本当に「チョキチョキ」と心地よい音を立てて、四半期かけて伸びたくせ毛が切り落とされていく。

「たしかお仕事先ってすぐ近くでしたよね?」「そうそう、通り一本向こうの」「忙しいですか?」「バタバタしてます」

ボサボサだった髪の毛が見苦しくなくなる頃には「美容室で用意された雑誌が読めない」という悩みを、知らず知らずのうちに美容師さんに打ち明けている。

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