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老い

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生まれたばかりの赤ちゃんを半年も見なければ、それはもうすっかり成長していてびっくりしてしまうほどだ。また高齢者の場合はこれまた驚くほどに老いが大波となって彼らに押し寄せているのが目に見えるようで心が痛む。

先週の金曜日から始まった泉桐子さんの個展、“シグナルズ”には幸先よく多くの人々が訪れている。嬉しい限りである。
そんな中、ギャラリーを始めた頃からの付き合いのある女性がやってきてくれた。
初めて知り合った時にもうすでにかなり高齢だった彼女は、久しぶりに見るともう痛々しいほど痩せて小さく透き通って見えた。

人は年齢が高くなっていくにつれて色が薄く透明になっていくような気がするのは私だけだろうか。。
それは彼らがまるで世間のしがらみ、自分の負っている罪や負のエネルギーを手放して、純粋で汚れのない精神に近づいていくからなのかもしれない。まさにそれは彼らの人生終末の門がその人の後ろに透けて見えるようでもあり、なんだが胸がぎゅっと締め付けられる思いが去来する。

彼女が初めてギャラリーにやってきた時(それはもう10年以上前のことだけれど)、私は完全に彼女に圧倒された。彼女は若い頃南米にわたり手広くアートを扱うギャラリーを開いていた人である。とにかく彼女の鋭いアートに対する鑑識眼、また長く培ったビジネスの手腕が自信と強さになって彼女を包んでいて、新米のギャラリストである私を怖気付かせるほどだった。でも彼女はそんな頼りなさげな私のことをどういうわけか気に入ってくれて、以来彼女は私の大好きなお客の一人になってくれたのである。

老いが彼女をすっぽりと包んでしまった今でも、もちろん彼女は頭脳明晰で、そしてアートへの情熱を失ってはいない。でもあの底光りするような眼光は幼児のような清らかな眼差しへととって代わり、そしてソファに身を沈めるように座り込んだ彼女はまるで子猫のように愛らしく従順に見えた。

“暗くなる前に帰らなきゃ”と言いつつ、ソファからやっとの思いで立ち上がった彼女の背中はさらに小さく見え、私は涙をグッと飲み込むしかなかった。
帰り際彼女はいっぱいに腕を広げ、私をハグしてくれた。それは今の世間のルールからははみ出した挨拶の仕方だったのだけれど、でもそれは挨拶なんかよりずっと深い彼女の命のシグナルを受け取る儀式だったのだ、と私は思っている。
私は彼女の硬い背中をさすりながら“必ずまた会いましょう!”と心の中で何度も念じた。

今日は泉桐子さんの小品を紹介しよう。
泉さんは決して作品の内容について説明を加えることをせず、見る人に全てを委ねる。誰もがきっとこの作品から心温まるストーリーを引き出すことができるのではないだろうか。私は今この作品を見ると、ちょっぴり悲しみとか痛みとが滲んだ、でも温かな彼女とのハグを思い出してしまうのである。

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